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常に自分を厳しい環境に置く。そこで得られること
「僕はめんどくさいことがやりたくない性分なんで、ぬるいところにいったらダメになると思ったんです。就職のときに、具体的にやりたい職種はありませんでした。だからともかくまず“厳しい環境”。そこに自分を置くことで成長できるだろうと考えました。あともうひとつ、高校の野球部も大学のアメフト部も日本一にはなれなかったので“一番の会社”に入りたいと思いました」。
運転する須永司さん
就活ではさまざまなジャンルのシェアナンバー1の企業を狙った。そしてモーターで世界に君臨する部品メーカーに就職、営業部に配属される。
なかなかコシャリ屋さんを目指さないで申し訳ないのだが、須永司のサラリーマン時代のお話をさせていただきたい。部活で培ってきた須永イズムが、より一層強化され、起業へと繋がる大事な時期なのだ。
さて、会社入った須永さん、研修中からいきなり“発動”する。
「上司に営業先の提案をしたんです、新入社員研修の最中なのに(笑)。“うちの製品を買ってくれそうな会社があるんで、訪問していいですか?”って言ったら“やめとけ”って一蹴。当たり前ですよね。研修中なのはもちろん、そもそも僕の会社の営業スタンスと違っていたので。うちはほぼルートセールス。世界的な自動車メーカーとかカメラメーカーが得意先で、新規開拓なんてそのときにはほとんどなかったんです。まあ会社の仕事を全然知らなかったということですね」。
新規開拓のダイナミズムはなかった。だが須永さんは仕事を楽しんだ。営業のゴールは「受注」だ。そこを目指してあらゆる部署が一丸となって臨む。開発部門や工場、工場の支援部門などを、社外への顔となる営業がコーディネイトし、ひとつのチームとして得意先に向き合うのである。先輩の後にくっつきながら、チームをマネジメントする面白さを存分に身につけていった。
入社3年目には「新製品開発部門」に配属。
「市場調査をし、ニーズを読み取って“こういうものを作ったらこの業界にこれだけ売れますよ”と社内に提案し、作った製品を売りに行くわけです。製品づくりと営業と、マーケティングの初歩みたいなものを学ばせてもらって、29歳のときに中国に転勤になりました」。


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