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2021.08.06

あそぶ

日本屈指のウォーターマン阿出川潤さんの、ハワイ仕込みな海との付き合い方

マウイで6年間過ごし、帰国後はプロウインドサーファーとして活動する日本屈指のウォーターマン・阿出川潤さん。
現在は千葉県白里海岸で「TEDサーフショップ」を営む阿出川さんに、オーシャンスポーツの本場・マウイ島の暮らしについて聞いてみた。
 

ウインドサーフィンが導いた“風の島”マウイでの暮らし

ウォーターマン・阿出川潤さんに聞いたマウイ島の人たちの生き方「海遊びへの情熱が異次元」
1980年代以降、世界のウインドサーファーを魅了したロビー・ナッシュ氏。還暦を前にして、風をつかみ、ジョーズの波に乗れる心身を持つ。それは、阿出川さんが憧れる年齢の重ね方。
新しい車を買ったんですよ。取材の依頼時にそう言っていた阿出川潤さんが、当日乗ってきたのはピックアップトラック。北米仕様車のトヨタ「タンドラTRDプロ」で、アメリカから取り寄せたものだった。
荷台には海遊びアイテムがいっぱい。特に近年はうねりのパワーだけで波に乗れ、海面を滑空していくフォイルサーフィンに魅了され、この日も水中尾翼がボトム面に取り付けられたボードが積まれていた。
以前は同じく北米仕様のトヨタ「タコマ」を所有。十分にピックアップトラック好きがわかる車の遍歴だが、その偏愛のルーツはハワイ・マウイ島にあるという。
「高校卒業後、マウイ島で6年ほど暮らしたんですが、そのときにローカルのウォーターマンたちが、よく乗っていたんです。当時の僕は大学生で買えないし、いつかこれに乗りたいという憧れがありました」。
それは阿出川さんにとって車の原風景。“風の島”と言われるほどよく風が吹き、ビッグウェーブが訪れ、屈強な男たちが喜び勇んで海に向かう毎日の暮らしに、ピックアップトラックは自然に溶け込んでいた。
10代でマウイへ渡った理由は大学進学とウインドサーフィンだった。現在47歳の阿出川さんがウインドサーフィンと出会ったのは小学校の頃。父の輝雄さんは日本のサーフィン草創期の1960年代にサーフボードブランド「TEDサーフボード」を立ち上げた人で阿出川さんが物心ついたときにはサーフボードに埋もれて暮らす日々を過ごしていた。そして’80年代に入ると海遊びのアイテムにウインドサーフィンが加わった。
「ウインドサーフィンは’60年代後半に、ヨットのセイルとサーフボードをくっつけたら何ができるかという観点からカリフォルニアで生まれたのですが、’80年代に入るとレジェンドサーファーのジェリー・ロペスさんたちも夢中になっていたんです。
パイプラインの波に乗り、風にも乗る。その姿はジェリーさんをカリスマと捉えていた世代には革命的だったんでしょうね。『ジェリーさんがやるならオレたちもやらなきゃ』という気持ちがあったのだと思います」。
輝雄さんが千葉のいすみ市で営んでいたサーフショップではウインドサーフィンを扱い、スクールも行っていた。海が産湯のような存在の阿出川さんも、よく父と一緒に海に行きスクールの模様を見ていたという。そうして過ごしていたある夏の夕方、ふと運命の出会いはやってきた。
「絵に描いたように空がきれいで、南風がそよそよと吹いていたんです。ビーチにウインドサーフィンの道具があったので見よう見まねでやってみたら、うまくセイルが風をつかんで、ふわーっと海上を走っていきました。
ボードが水を切り裂く音や、風のなかへ入っていく感じが印象深くて、バチンとスイッチが入ったというような。あの瞬間の景色や匂いは、今も覚えているくらいなんです」。
ウインドサーファーとしての人生が動き出した。そんな瞬間だった。


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