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風が吹いても吹かなくても海で遊ぶマウイの人びと

以来、ウインドサーフィンで風に乗り、波に乗る日々を送るなか、中学生で“世界”に触れた。父がジャッジをしていた関係で、静岡県・御前崎で開催されていた世界最大規模の国際大会会場を訪れたのだ。
「現在国内で見られる、あらゆるオーシャンスポーツの大会とは比較にならないスケールでした。数千人が座れる観客席を海辺につくり、各ブランドのブースがいくつも並び、来場者がそれらを埋めていく。とてもキラキラした空間で、子供ながらに自分はこの舞台に立つんだと、目標にしていました」。
出場していた日本選手のサラリーは良く、家が建つほどだと耳にした。総じて暮らしぶりは日本とハワイの2拠点。さらに海外へ目を向ければ、カリスマ的存在のロビー・ナッシュはマウイの豪邸に住み、ポルシェを駆っていた。ウインドサーフィンを嗜む者には羨望の生活模様。それほどのステイタスに、当時のトップウインドサーファーはあった。
彼らのようなトップの仲間入りを目標とする若き阿出川少年は、高校卒業後にマウイを目指すようになる。きっかけは国際大会のジャッジとして同島に向かった父に同行したこと。初めて訪れたマウイで、本場の空気は子供の心を力強くノックした。
「夢の島ですよね。人や海のレベルは一流だし、海で遊ぶことを礼賛する雰囲気が島全体に溢れていて、誰もが毎日海に出ることを当たり前に捉えている。大人になったら自分はここに住みたいと。子供ですし、あっという間に大好きになりました」。
マウイはウインドサーフィンの聖地として知られ、一年を通して強い風が吹き、サイズのある波が姿を見せる。島に点在するスポットのうち北海岸にあるホキーパは特に有名で、ハイシーズンの冬にはビッグウェーブを華麗に乗りこなすウインドサーファーの姿が多く見られる。
小学生で抱いた聖地に住む夢を10年後に実現した阿出川さんは、大学に通いながら平日は住まいのあるカフルイの海に入り、週末になると車で1時間ほどの距離にあるホキーパで腕を磨いた。住みながら時間をかけてマウイを体感すると、改めて出会う人たちの次元の違いを知るようになった。
「海遊びの情熱が尋常ではないんです。その頃にマウイを拠点にしていたウォーターマンの頂点がレアード・ハミルトンさんやデイブ・カラマさん。風が吹けばウインドをやるし、なければロングボードを取り出してでかい波で優雅にサーフィンをする。しかもノーリーシュ(笑)。そういう光景を見ると、なんだこの世界は、と思うんです。
そんな先輩が間近にいるから次世代のローカルサーファーが10代で世界的なビッグウェーブスポットのジョーズに突っ込むということが起きていく。進化が止まらないんです」。
発想力も桁違いだという。
「凧に引っ張られてサーフィンしたら気持ちいいはずだなんて言って、レアードさんがゲリラカイトを持ってきて沖に出ていったことがありました。
風上には上ってこられないから一方通行でひたすら沖へ。やがて姿が消えて、あれはレアードさんだからできるんだなんて周りで言うっていたら、翌年にはカイトサーフィンというスポーツになっていました(笑)。
フォイルサーフィン発祥の地もマウイ。そのような発明が日常的に起きるのは、ブランドのオフィスが数多くあり、発想、実験、開発、製品化のサイクルが非常に速く回っているからなんです」。
海遊びの爆心地。それがマウイ。そしてシーンの中心にいるのがウインドサーファーたちなのだ。


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