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ウインドを長く続けるため22歳で下した帰国の決断

ウォーターマン 阿出川 潤さん●1973年、千葉県いすみ市生まれ。サーフショップを経営する両親のもと、幼少期からボディボードやウインドサーフィンなど海で遊びながら育つ。
本気で遊ぶから時代を動かす発明は生まれる。換言すれば、本気になる必要があるほどに、マウイの海は厳しく、容赦がない。
「僕の印象のマウイは、すべてが硬い。ハイシーズンの海は面が硬いし風も重い。ウインドサーファーたちが纏うオーラもピリピリしています。きちんと自分を律していないと簡単に怪我につながる場所です。
ただ、そうした状況だからこそ、魅力なんですよね。日本ではどれだけボードを踏んでも海面は柔らかくゼリーのようですが、マウイはコンクリートのよう。風の強さ、波のサイズとパワーが桁違いで、出るスピードが日本の海とは大きく異なります。
海から受ける衝動がまったく違うし、僕も虜になっているというか、マウイでしか感じられない本気の海で揉まれたいと、今も時折り思うんです」。
マウイの日々は楽しすぎた。しかし阿出川さんは22歳で帰国を決める。今後も長くウインドサーフィンを続けていくため。それが理由だった。
当時、腕自慢のウインドサーファーたちがジョーズを攻め出した。その光景に触れ、同じウインドサーファーとして視野が開け、「いつかはこの人たちと同じく、すべての海遊びを高いレベルで楽しめるようになりたい」と考えるようになった。
またキャリアにおける目標のひとつだった日本の国際大会がスポンサーの撤退で消失。同様なことが各国で起き、ヨーロッパ市場を除いて業界は勢いを失った。すると、マウイでさえトッププロ以外はウインドサーフィンのショップで働いているように、プロになるだけでは生活は苦しそうだとわかっていく。
マウイだけを拠点にプロ活動をしていても、外国人の自分はなおのこと成功するのは難しい。ならば日本に帰り経済基盤を築いたほうが、好きなウインドサーフィンを長く続けていけるのではないか。そう考えた。


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