「Running Up-Date」とは……アメリカントラッドの有名ブランドでPRとして活躍したのち、フリーランスとして独立。現在は自身の名を冠した「にしのや」を立ち上げ、国内外のブランドPRやパンツ専業ブランド「ニート」のデザイナーとして辣腕をふるう西野大士さん。
実はランニング歴がもうすぐ10年となる先輩ランナーだ。といってもマラソン大会へ熱心に出場しているわけではなく、そのときどきのペースを維持して走っていたら、気付けば10年選手目前になっていただけ、という。
適度なランニングは健康に良い、それは誰でも知っている。でも、続けるのはそんなに簡単なことでもない。だからこそ、西野さんのランニングスタイル、参考になりそうじゃない?
きっかけは東日本大震災。でも……
「基本的にはファンランナーで、数年前にはほとんど走れなかった時期もあるんです」という西野パイセンが走りはじめたきっかけは、東日本大震災の影響が大きいという。
2011年をきっかけに、地に足をつけたライフスタイルの価値が見直されて日本中でランナーが増えたのは事実だけれど、どうもそれとは少し様相が異なるらしい。
「あのとき各地の発電所が稼働停止となって、節電の必要性が叫ばれていましたよね。当時働いていた職場も節電に協力するため、定時での勤務が基本となり、残業がしにくくなってしまったんです。それまではPRとして夜も忙しく働いていたのですが、時間がぽっかりと空いてしまい、かといって呑みに出歩くのもはばかられる。何しよう?となったときに思い浮かんだのがランニングでした」。
それまでも周囲のランナーから「気持ちいい」とことあるごとに薦められていて、身体を動かすことも嫌いなほうではなかった。じゃ、走ってみるかと。
「自宅の近所に1周1kmのホームコースを作って、3周するとこから始めました。3周分の音楽をダウンロードしておいて、それを聴きながら。じきに5周、6周…… と走る距離を増やせるようになり、ランナーとしてだんだん成長していく自分が楽しくてハマりました」。
そうこうしているうちに「西野さんが走っている」という情報を聞きつけたなじみの雑誌編集者に誘われて、神戸マラソンへのチャレンジ企画に参画。
「雑誌の企画だったので、専門のコーチにトレーニングメニューを組んでもらい、しっかり走り込みました。ペースが速すぎると最後まで持たないので、ゆっくり走ることの大切さを教わったり。本番では事前の練習で体感できていた25kmまでは良かったのですが、そこから先は本当にキツくって、途中で縁石に座りこんだりしましたよ。でも5時間台で無事完走できました。漠然と走っているだけだと張り合いがないので、こうやってレースに向けて挑戦するのは楽しかったですね。体の調子もすごく良かったです」。
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