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2020.11.24

月間16000台も売れた「シティ」。若気の至りが社会を変えた名車武勇伝

「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……

vol.17:「シティ」
ホンダ、1981年〜

1981年に登場したホンダ「シティ」。
“トールボーイ”という愛称で呼ばれ、当時のライバルであるトヨタ「スターレット(2代目)」や日産「マーチ(初代)」より300mm以上短い3380mmの全長ながら、全高は900mm以上も高い1470mmに設定されていた。
短いけど高さがある、当時では個性的なフォルムだったのだ。
中古車の流通台数はかなり少ないが、あれば100万円前後、カブリオレやターボIIは250万円前後の個体が確認できた。※編集部調べ
今では軽自動車のスズキ「ワゴンR」やダイハツ「ムーヴ」でお馴染みの、短くて少し背の高いフォルム。
実際スリーサイズは現行型の「ワゴンR」とほぼ同じだ。
1993年に登場した初代「ワゴンR」は軽自動車の新たなカテゴリーを開いた名車だが、その10年以上も前に、すでに「シティ」がそのスタイルを提唱していた。
しかも660ccではなく、1231ccを積んでいるのだから、走りは軽快。翌1982年にはターボを搭載した「シティターボ」も登場した。

軽自動車よりも少し大きくて、免許を取ったばかりの人々が買う“初めての車”というカテゴリーでは、異彩を放った「シティ」のフォルム。
フタを開けてみれば若者だけでなく、車好きのおじさんたちにも大いにウケた。

ウケた理由はもちろん外観だけでない。例えばシートのヘッドレストと背もたれ部分は2本の柱でつながり、間が大きく開いている。
また背の高さを活かして、座面がほかのコンパクトカーより高いため、上から見下ろすような視界で運転できる。エアコンの冷風を使ったクーラーボックスまで備えていた。

総じて“新しい車”感がするのだ。
それを現すかのような斬新なフォルムで、しかもちゃんと若者向け価格(当時の車両本体価格で78万円)なのだから、人気が出るのも当然か。
ピーク時にはひと月で1万6000台も売れたという。
加えて、ホンダは秘密兵器まで用意していた。それがシティと同時に発売された、50ccバイクの「モトコンポ」。
ハンドルやステップを折り畳めば「シティ」のトランクに収まるように、「シティ」と一緒に開発された原チャリだ。
全長はわずか1180mmしかなく、「車で出掛けた先では、トランクからバイクを取り出して、遊びましょう」というホンダからのメッセージのような“乗り物”だ。
唯一無二のフォルムで今もファンが多い「モトコンポ」。
さらに1983年には“ブルドッグ”という愛称を持つ、インタークーラー(ターボ機能を高める装備)付きターボエンジンを搭載する「シティターボII」が登場する。
踏み込んでから一瞬の間を空けて急激に加速する、いわゆる“ドッカンターボ”は、短い足で猪突猛進するブルドッグのイメージにも合っていた。翌1984年には幌を備えた「カブリオレ」も登場した。
発売当時、日本の会社員は、年齢や入社年次相応の車を買うのが当たり前だった。
そんな“車ヒエラルキー”のいちばん下に位置する「シティ」は、本来上級車のディフュージョン版であり、当時のホンダでいえば「シビック」の廉価版なりの見栄えが暗黙の了解だったと言われる。
「シティ」に搭載された「モトコンポ」。
ところが「シティ」は軽々とヒエラルキーを超え、「シティ」の上にほかの車はないかのように、個性を爆発させた。
なぜ「シティ」は“当時の常識”を打ち破ったのか。その要因のひとつに、開発陣の平均年齢が20代だったということがあるように思う。
「大いなる若気の至りが個性の芽を育てる」と創業者である本田宗一郎は言った。そんなホンダだからこそ、若い開発陣の背中を押し、「シティ」は生まれたのだ。
「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
“今”を手軽に楽しむのが中古。“昔”を慈しむのが旧車だとしたら、これらの車はちょうどその間。好景気に沸き、グローバル化もまだ先の1980〜’90年代、自動車メーカーは今よりもそれぞれの信念に邁進していた。その頃に作られた車は、今でも立派に使えて、しかも慈しみを覚える名車が数多くあるのだ。上に戻る
籠島康弘=文


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