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2018.09.16

’60年代生まれのイタリア車が持つ愛嬌にひと目惚れ

ひと目惚れする世界の旧車 Vol.1
ここ数年、メーカーが続々と取り入れ始めている中古車の認定制度に、レストア部門の新設。それによって安心して古いクルマを楽しめるようになるのは、我々の大きなメリットだ。
そこで、往年の名車が集まるイベント「AUTOMOBILE COUNCIL2018(オートモビル カウンシル2018)」に行って気分がアガる中古車たちを探してきた。アナタのハートを撃ち抜くクルマはどれだ!?
最近のクルマに多いタマゴ型、つまりノーズからルーフにかけて弧を描くようなデザインは、空気抵抗を減らすためのもの。また、多くのクルマがモデルチェンジの度にサイズアップする一因は、衝突安全性を高めるため。
これらの傾向が加速したのは1970年代からだ。オイルショックや車両安全基準が強化される前の’60年代は、今ほど燃費や安全性のことなんて気にせずにクルマはデザインされていた。
だからだろうか。今回見つけた1960年代のイタリア生まれの旧車たちのデザインには、現代のイタリア車に連想する洗練された印象というよりも、かわいらしく、愛嬌を感じるものが多く見られたのだ。
 
アルファ ロメオを中堅メーカーに押し上げた“姉さん”的存在
「アルファ ロメオ ジュリア1300T.I.」

1.3Lエンジンを搭載した1968年式「ジュリア1300T.I.」 378万円/ワールドヴィンテージカーズ
1954年に登場し、アルファ ロメオの礎を築いたと言われる1.3L級の「ジュリエッタ(「ジュリアの妹」の意味)」。1962年、生まれは後にも関わらずジュリエッタより大きい1.6Lエンジンを積んだ“姉”として登場したこの「ジュリア」は、同社の量産メーカーとしての地位を確立したまさにしっかり者の姉さん的存在だ。
ジュリアにはクーペがあり、そちらは今も熱狂的なファンから支持されているが、クーペよりもボクシーなセダンのほうは、独特の愛嬌があり、デビュー時には皆から親しみを込めて「醜いジュリア」と呼ばれ、愛された。その愛嬌は今もまだ色あせていない。
このジュリアは搭載エンジンのバリエーションを増やすなどして1977年まで販売され、昨年2017年に40年ぶりの復活を遂げている。
 
ダスティン・ホフマンの「卒業」で見た美しいオープンカー
「アルファ ロメオ 1300スパイダー ジュニア」

’60年代のアルファ・メロオはもちろん社内でもデザイナーを擁していたが、1966年に登場したこちらのスパイダーは、ピニンファリーナという有名カロッツェリア(メーカーからの依頼を受けてクルマのデザインや製造を行う会社)が担当。
こちらは1968年に追加された1.3Lモデル「1300スパイダー ジュニア」 438万円/ガレーヂ伊太利屋
フェラーリをはじめ、数多くの名車のデザインを担当してきたピニンファリーナが手掛けたこの美しいオープンカーは、’67年公開のダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』でも印象的な役割を果たし、一役注目を浴びた。
’70年になるとアメリカの厳しい安全基準に対応するため大型バンパーを備えるなどして、’93年まで生き延びたが、フロントライトからリアのライトまで美しい弧を描くスタイルは、’60年代のみ味わえるのだ。
 
’60年代イタリアの“大衆車”デザイン
「ランチア フルビアクーペ ラリー1.3S」

分厚く張り出した力強さを感じるノーズに、“ブサかわいい”と表現したくなるギョロッとした4つ目のライトが印象的なフェイス。どこのコンパクトスポーツカーかと思うこちらは、’66年に登場したランチア社の「フルビアクーペ」。
1968年式「フルビアクーペ ラリー1.3S」 478万円/ガレーヂ伊太利屋
この車のベースとなったセダンは同社の中で最も手頃な大衆車として作られたが、当時すでに火のクルマだったランチアの経営を救うほど販売台数は延びず、同社は1969年にフィアット傘下に入ることに。結果的にこのフラビアはランチア社単独で最後にデザインされたモデルとなった。
 
ハートも盗まれる可愛さ、リデザインされたルパンのチンクエチェント
「アウトビアンキ ビアンキーナ」

日本ではアニメ『ルパン三世』で有名な2代目フィアット500(ヌォーヴァ・チンクエチェント)を、イタリアの自動車メーカー・アウトビアンキが小型クーペとして仕立て直したのが、この「ビアンキーナ」だ。
1964年「ビアンキーナ」 259万円/ワールドヴィンテージカーズ
アウトビアンキはもともと自転車メーカーで有名なビアンキの自動車部門として生まれ、1955年にその自動車部門がフィアット傘下に入った際にアウトビアンキという名前となり、1992年まで存続した自動車メーカー。
ビアンキーナはアウトビアンキがフィアット傘下において初めて手掛けたモデルで、安価ゆえイタリア中で大ヒットしたフィアット500に対し、ビアンキーナは少し上級モデルという位置付けだったという。
現代のクルマと比べて驚くほどシンプルなインテリアが逆に魅力的
チンクエチェントとはまた別のかわいらしさがあり、ノーズとテイルが伸びたポテっとしたボディや丸目のライト、ドアハンドルまで愛らしいデザイン。現代のコクピットと比べてミニマムなインテリアもまた愛着が湧く。
 
伝説のデザイナーが作り変えた大衆車ベースのスペシャルカー
「フィアット850 スパイダー スポーツレーサー ベルリネッタ」

チンクエチェントよりワンランク上の大衆車として位置づけられていたフィアット850。このクルマをベースに、有名なカロッツェリアであるベルトーネが作ったのが2シーターオープンカーの850スパイダーだ。
1969年式「850 スパイダー スポーツレーサー ベルリネッタ」 469万円/ワールドヴィンテージカーズ
手掛けたデザイナーはジウジアーロ。のちにベルトーネから独立して、フォルクスワーゲン ゴルフ(初代)や映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でお馴染みのデロリアンなど数々の名車をデザインした伝説的なデザイナーだ。
特徴的なフロントバンパーから流線形に伸びるボディは、スポーティでありながらどこか愛嬌を感じ、大衆車を元に作られたクルマらしいバランスの取れたデザイン。
写真は固定式のハードトップをもつ850スパイダーの中でもさらに特別なモデルで、約2000台しか生産されなかったと言われている。
 
ボクシィ、スポーティ、オープンカー……スタイルは違えど、’60年代のイタリア車には現代のイタリア車とは違う愛嬌を感じる。
オッサンになって家族もできた今、イケイケのクルマよりもこんなかわいい相棒なら、子供だってすぐ大好きになりそうだし、故障や修理でかかる手間だって、愛おしく思えるのでは?
 
萩原文博=撮影 ぴえいる=取材・文


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