「8809」6万9080円/レッドウィング(レッドウィング・ジャパン 03-5791-3280)
鼻を近づければ潮の香りがしそうなニューカマーがお目見えした。新たなレザーをまとった6インチ丈のクラシックモック、「8809」がそれだ。
レザーの名はタイダル・ミュールスキナー。タイダルは潮汐(引力による海面の昇降現象)の意。なるほどその名にふさわしい色合いである。

ミュールスキナーはラフアウトレザーのバリエーションのひとつ。ラフアウトレザーは起毛革に属するが、漉き分けた床革のみを使うスエードに対し、銀面付きの一枚革をまるまる鞣している。たっぷりとオイルを含ませたそのレザーは防水性にも秀でる。

これまではベージュ〜ブラウンのグラデーションが多かった。ブルー系ではインディゴによる後染めが2、3回あったくらいというから希少だ。鞣製段階で色を入れたこのレザーは後染めのように色移りする心配も少ない。

1950年代後半に登場したラフアウトレザーはいまや全ラインナップの半分近くを占めるまでになった。理由はキズがつきにくいという点にあった。すなわち歩留まりがいい。労働者とともにあったレッドウィングにとって、買いやすい価格設定はデザインの延長線上にある。ラフアウトレザーはまたとない素材だったというわけだ。

見逃せないのが、トップラインからレザー素材のシューレース、アイレット、ストームウェルト、ソール、ステッチまで、脇を固めるスペックをすべて黒で引き締めたカラーパレットだ。それらスペックは額縁のようにタイダルを浮かび上がらせてくれる。

もしも売り切れていても諦めないでほしい。日米欧で争奪戦になったこのモデルは時をおかず第二弾が投入される予定である。

ディカプリオにならなかった男
レッドウィングはチャールズ・ベックマンが1905年、ミネソタ州のレッドウィングシティで創業した。将来性を買った地元の名士14人の援助を受けて、小さな煉瓦造りの工場を建てた。

ベックマンは17歳の年、新天地を目指して海を渡ったドイツ移民だ。1歳上の従兄弟とともに乗り込んだのはS.S.アトランティック号。その船は、のちのタイタニック号に並ぶ海難事故に見舞われる。当時の記録によれば、975人が乗船していて、生き残ったのは429人。その一人がベックマンだった。
ベックマンはSBフットタンニングカンパニーというタンナーに拾われた。それから10年。鞣し職人として研鑽を積んだベックマンは1883年、C.ベックマンと名づけた靴屋をオープンする。合わない靴は売らないという頑固な姿勢が評価され、その店はおおよそ20年、続いた。ベックマンはみずからをシューマンと名乗った。

C.ベックマンの看板を下ろし、あらたに立ち上げたのがレッドウィング・シューカンパニーだった。公式には世の中の靴に不満を抱えていたとされるが、それだけではないだろう。グッドイヤーウェルト・マシンによる量産化が本格化した時期(1880年代にマサチューセッツ州で興り、ほどなく中西部へ広がった)であり、アメリカンドリームを狙う若者も無数にいた。もうひと花咲かせたいと思ったとしてなんら不思議はない。
創業から4年後の1909年には四階建てに増改築し、念願のグッドイヤーウェルト・マシンも導入した。ところがいよいよこれからというときにまだ56歳という若さでこの世を去る。1912年のことだった。せめてもの救いはベックマンが蒔いた種がまるで置き土産のように咲き誇ったことだ。
ベックマンが亡くなったその年、ブラウンチーフ・シリーズが発売された。ファーマー用のそのフットウェアはレッドウィングの名を全米に轟かせた。日産800足の生産態勢を整えるも、注文の電話は鳴りやまなかった。
ファーマーをうならせたのは、レッドウィングのために開発されたというグロコード・ソールである。オハイオ州のリマコードソール&ヒール社がつくりあげたそのソールはラバーにコードをブレンドすることで滑り止めとしての効果を高めた画期的なソールだった。その技術は後年、レッドウィング・オリジナルのコードソールに受け継がれた。
アイリッシュセッターの誕生

石油プラントで働く男たちのためのオイルキングブーツ。レイルロードエンジニアのためのエンジニアブーツ。あるいはハンティングブーツやロガーブーツ――。第二次産業革命を担う男たちに支持されたレッドウィングはアメリカの成長と歩調を合わせて事業を拡大していく。世界大戦では米軍の足元を支えた。その地位はアイリッシュセッター(現クラシックモック)の登場で決定的なものとなる。
不朽の名作を不朽の名作たらしめたのはオロラセット・レザーとトラクショントレッド・ソールだった。

オロラセットはカリフォルニア州のタンナー、レオ・メッテン社が1950年に開発した。いわゆるコンビネーション鞣しで、再鞣しにセコイア(アメリカ杉)を使ったフルグレインレザーだ。“オロ”はスペイン語で金、“ラセット”は英語で赤茶色を意味する。その強靭で柔軟なキャラクターはワークブーツの最適解だった。
この革の登場を待って同年、世に問うたのがアイリッシュセッターの前身となる「854」だった。ソールにはすでに実績のあるグロコード・ソールを履かせた。
「854」で確かな手応えをつかんだレッドウィングは1952年に8インチの「877」、1954年に6インチの「875」をリリースする。勘どころはクッションクレープ・ソール。マサチューセッツ州のエイボン社が開発したというそのソールは武骨一辺倒なそれまでの設計思想と袂を分かち、軽量性や衝撃吸収性を追求した。

これをたたき台にラバーの配合からトレッド・パターンまで煮詰めに煮詰め、レッドウィングが1958年に完成させたのがトラクショントレッド・ソールである。以降、「877」も「875」もトラクショントレッド・ソールに履き替え、こうして現在のかたちが整う。
赤みの強い色合いが猟犬の毛並みに似ていることからアイリッシュセッターと名づけられたそのブーツは、いまなおレッドウィングシティの自社工場から出荷される。
生産現場には創業当時の景色が広がっている。

象徴するのがピューリタンミシンだ。アイリッシュセッターのアイコンであるトリプルステッチはこのミシンの専売特許。ラテックスを絡ませながら縫い込んでいくピューリタンは代替えが利かない。レッドウィングには専任のメンテナンスチームがあり、日々手入れをし、ときに部品をいちからつくっている。残念ながらそのミシンメーカーはすでに存在しないのだ。
田舎町に根を下ろした名靴
レッドウィングの歩みをたどって浮かび上がってくるのは、愚直を絵に描いたようなスタンスである。
レッドウィングシティという田舎町に居を定め、労働者のための靴をつくり続けてきた。圧倒的に良心的な価格設定はその軸足をファッションではなく、あくまでギアに置いてきたからだ。ファミリービジネスだから可能となった路線であり、株主がいたら路線変更は免れなかっただろう。

稼いだ金は地元のために使った。街唯一の駅、レッドウィング駅が駅舎を改修する際には出資した。橋や道路などの整備にも協力を惜しまない。
1986年には苦境にあえいでいた SBフットタンニングカンパニーを迎え入れた。タンナー業界も海外への産地移転が進んでいた。
オロラセットは現在、SBフットタンニングカンパニーのもとで鞣されている──。要となる技術がことごとく受け継がれてきた経緯は明らかではないが、そんな姿をみせられれば誰だって二つ返事で契約書にサインしたに違いない。
先住民への畏敬の念もあった。それが証拠に、ブランド名はその土地を治めていたダコタ部族の大酋長の名、ロゴは彼の羽飾りから採った。四代目のヘイゼン・ワクタ・レッドウィングは出荷部門で働き、その名を知らしめたブラウンチーフ・シリーズの広告キャンペーンに起用された。
地元を愛し、その歴史にも思いを馳せた。
考えてみれば、モックトウは先住民のモカシンにルーツをもつデザインである。
[問い合わせ]レッドウィング・ジャパン03-5791-3280https://redwingheritage.jp/