「俺、このままじゃ終わるぞ」という恐怖

コロナ禍もようやく落ち着きを見せ始めた2023年には、日本代表としてアジア大会に出場。しかし、個人成績は振るわなかった。
それでも帰国すると、周りからは「日本代表なんてすごいですね」と持て囃される。どこに行っても褒め讃えられる。だが、そんな生暖かい環境に木村さんは違和感を覚えていた。
「褒めてもらえるのはありがたい。でも、それはある意味でぬるま湯です。いつまでも『海外挑戦している元プロ野球選手』のままでいていいわけがない。だから本当に怖くなりましたよ。『俺、このままじゃ終わるぞ』って」。
現状を変えるため、45歳で再び海外へ向かった。2025年、ANAのプロモーションをきっかけに訪れたインド。クリケットが国民的スポーツであるこの国で、木村さんは大きな衝撃を受ける。
「向こうではまだカースト制度の名残もあって、教育を受けられない子どもたちがたくさんいる。そんな彼らが、“人生を変える唯一の手段”としてやっているのがクリケットなんです。
なので、僕がアカデミーを訪れてみても、『誰だ、お前。邪魔すんなよ、俺らの人生を』という空気で。自分ひとりだけ場違いみたいな人間で、『木村昇吾、クソダサいな』と思いました。僕だけが綺麗な身なりだったのも、また恥ずかしかったですね」。
意気軒昂として乗り込んだ本場の舞台。そこでは「ハングリー精神」という言葉すら陳腐に感じるような、圧倒的な覚悟の差を突きつけられた。
「選手もコーチも人生を賭けてやっていて、常に『どうやってのし上がってやろうか』と考えている。ギラギラしたエネルギーに溢れているんですよ。僕も『全選手をブチ抜いてやる。強豪クラブもブッ倒してやる』って言って日本を出てきたのに、あっさり瞬殺された感じでした」。
それまでの考え方は、根底から改めざるを得なかった。 同年秋には3カ月間インドに滞在し、朝から晩まで練習漬けの日々を送った。
そして急遽出場した試合で、7〜8番打者ながらチーム最多となる50点超えを記録。5試合で3度のハーフセンチュリーを達成し、一気に周囲の評価を変えた。
「翌日からみんなの態度が変わりました。当時は試合を重ねるたびに自分が上手くなっていく感覚がありましたね。しかも朝から晩まで練習以外にやることもないから、ひたすらクリケットに没頭できる。本当にいい環境でした」。
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