
「セカンドキャリアのリアル」とは……数々のデジタルサービスを立ち上げ、ベンチャー投資家・起業家として成功し、IT業界では名の知れたCEO。そんな経歴を持ちながらある日突然すべてのキャリアを捨てて、インドで頭を丸めた男がいる。小野龍光さんだ。
その姿を纏いながらも、「ただの無職だ」と龍光さんはきっぱり言う。一体どういうことなのだろうか。肩書きを捨てて3年半、小野裕史としての人生を“前世”だという彼の当時の胸中や現在の状況を明かしてもらった。
【写真11点】「キャリアをすべて捨ててインドで仏門をくぐった元起業家」の詳細を写真でチェック 話を聞いたのはこの方!
小野龍光(おの りゅうこう)●1974年生まれ、札幌市出身。元ベンチャー投資家・起業家。東京大学大学院 生物科学修士課程修了後、株式会社シーエー・モバイル(現・株式会社CAM)の創業に参画。「インフィニティ・ベンチャーズ」を設立や、「17 Media Japan」(現:17LIVE株式会社)の代表を歴任。2022年にインド仏教の最高指導者・佐々井 秀嶺上人のもとで仏門に入る。
子供の頃から「何者かになりたかった」
札幌市の木造の実家は柱が傾き、シャンプーなどはなく石鹸はねずみにかじられる。幼少期はそんな環境で育ったという。
「父親も肉体労働、母親も雪の中リヤカーで弁当を売ったりして、当時は貧乏だという認識がありましたね。小学生の頃は学校に2年ほど行かない時期もあったけど、“答え合わせ”は得意でした。当時は宇宙飛行士や、科学とかに惹かれていましたが、何者かになろうとしていた、というのは原点にあります」。

勉強が得意だった彼は東大へ進学し、大学院では研究室に入った。ときは1990年代後半、インターネットが社会に入り始めた時代である。
「生物を研究していましたが、大学のときからコンピューターにハマりはじめて趣味でプログラミングをしたりしていました。それでサイバーエージェントの子会社(現在の株式会社CAM)で仕事をするようになりました。当初はまだ4、5名の会社で、ダンボールと新聞紙で毎晩会社に泊まり込んでひたすら仕事をしていましたね」。
17LIVE代表取締役社長時代の小野さん。写真=西川節子
ニュースメディアやショッピングサイトは今では暮らしの一部であるが、そうしたサービスを作り出す。100以上のモバイルサイトの立ち上げを経験した。
「お金云々よりも、自分が作ったものが多くの人に利用されて売り上げも伸びていく。数名しかいなかった会社が数百名規模になっていく。その変化はエキサイティングでした。業界にものすごい追い風が吹いていた時期でしたね」。

モバイルビジネスのリーディングカンパニーへと導き、専務取締役を務めたのちに、2008年には共同でベンチャー投資家として起業している。
「ベンチャー投資を行いながら、ゼロから会社を作ってそこに投資をして、代表または経営陣として入って新たな会社をサービスとともに立ち上げる、起業家もしていました。ジモティーなんかは今でも使っている人が多いけど、自分が立ち上げたサービスが誰かに使ってもらえるのは純粋な喜びでした」。
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