
リーバイスのジーンズはもはや我々の日常に欠かせない。あらゆる職業の人々が足を通していることからも、その事実は明らかだ。
その姿に憧れを抱きリーバイスと向き合うようになったのが、株式会社ホーカーズの代表、山田一歩さんだ。飲食業界で活躍する彼が愛するジーンズとは?
【写真21点】「若手実業家が選んだ仕事着としてのリーバイス」の詳細を写真でチェック 紹介してくれたのは……
山田一歩(やまだ・いっぽ)●学生時代はサッカーに明け暮れ、卒業後は大手食品メーカーに就職。その後、独立しコーヒースタンド「グリーンスタンプコーヒー」をオープンさせた。現在では、三宿にあるイタリアンレストラン「アロウ」や、夫婦で手がけた「ボンボンショップ」など4店舗を運営する。その傍ら、企業のメニューアドバイザーや飲食店のディレクション、コンサルタントもしている。
ポートランドやトロントのバリスタがスタイルのお手本に
2000年初頭、アメリカのコーヒー業界はひとつのターニングポイントを迎えていた。種子から一杯のコーヒーに至るまでの過程(トレーサビリティ)をつまびらかにすることをひとつのスタンダードとし、コーヒー豆本来の個性を重視する動きである。俗にいう、“サードウェーブ”だ。
その“波”は2015年頃に日本にも到来。多くのコーヒーショップやコーヒースタンドがオープンすることとなる。山田さんもその流れに触発された。

「食品メーカーに就職はしたものの、自分が本当にやりたいことなのか分からなくなっていました。そこで一念発起し、自分の好きなアメリカへ行ってみようとも考えたのですが、お店をやりたいという気持ちの方が大きくなってきて。
僕の師匠にあたる、リーブスコーヒーロースターズのオーナー兼焙煎士、石井康雄さんの影響もあり飲食店経営を志すようになったんです。そこで当時、石井さんが経営していたお店で勉強も兼ねて働かせてもらうことにしました」。
その後、丸3年ほど働いたのち、晴れて独立しコーヒーショップを開いた。ただ、辻堂に最初のお店をオープンしたまではよかったが、早々に自分の考えの甘さを痛感したという。

「完全に鳴かず飛ばずでしたね(笑)。僕としては、物件を居抜きで買い取り、一部をDIYし、ポートランドにあるカフェのようなゴリゴリのアメリカっぽいヴィンテージ家具を置いてと、イメージを膨らませていましたが……。
店をオープンさせたときにはすでにサードウェーブの流れでよく目にした、アメリカンヴィンテージ“コテコテ”なコーヒー店ブームは終わりかけだったんですよ。地元の人は来てくれるようになりましたが、売り上げは大して伸びませんでした」。
しかし、山田さんはそこで諦めなかった。出稼ぎでキッチンカーをはじめ、イベントへも出店を繰り返す日々。周りの先輩たちのアドバイスにも耳を傾け、2台のワゴンで弁当も売った。そうこうしているうち、徐々に風向きが変わってきた。

「知人から、『逗子の方でいい物件が空いたけど店をやらない?』という連絡が来たんですよ。当時はコロナ禍でしたし、『お金を借りられそうだったらやります』と返答しました。そしたら運よく借りられて、逗子にプールサイドコーヒーをオープンさせました。それが予想外にヒットしたんですよ(笑)」。

その後、三宿に『アロウ』を、千駄ヶ谷に奥さんがディレクターを務める子供服とコーヒースタンドをミックスした『ボンボンショップ』もオープン。アドバイザーやディレクションなど、外部から仕事のオファーも入るようになった。そして近々、新店をまた逗子にオープン予定。その背景には、やはりシアトルやポートランドのコーヒースタンドへの憧れがあった。
「コーヒーショップが流行ったときは、どこもこぞってポートランドやシアトルにあるコーヒースタンドのイメージを強く打ち出していましたよね。僕も完全に操られた側です(笑)。あれこそがアメリカなんだと思っていました。
味が出たデニムエプロンをかけ、レザー小物を身につけ、色落ちの激しいジーンズを穿いた髭モジャの人たちがコーヒーを入れている姿に憧れましたね。彼らはアメカジを軸に、汚れても格好がつく服を着ていた。それが僕のジーンズスタイルの理想になりました」。
いつしかジーンズが山田さんにとっての日常着となり、ライフスタイルの一部となった。

「仕事中は汚れても気にならない服が基本なので、よくジーンズを穿いていました。正直、そこまでファッションは詳しくなかったですし、ジーンズといえばやはりリーバイスというイメージでした。
リーバイスのジーンズをおしゃれに、というよりワークウェアとして着たかったので、飲食で働いたところもあります。憧れていたのはアメリカのバリスタたち。そのせいか今でもピカピカのジーンズがやけに恥ずかしく感じられるんですよ」。
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