転機となったケニアへの旅
――たくさんの人々が行き交う神宮前交差点に立つ、東急プラザ原宿「ハラカド」の2階。ひときわまばゆいイエロー基調の店舗に、鮮烈な色・柄を纏う洋服や雑貨が並ぶ。アフリカの伝統に根ざしたテキスタイルを使い、個性豊かなファッションアイテムを作り出す「クラウディ」。その生産拠点はアフリカのガーナ。しかし単なるアパレルブランドではなく、並行してアフリカ現地での教育・雇用を創出し、食料支援まで行う。ブランドが生まれる端緒となったのは、銅冶さんが大学の卒業旅行で訪れたケニアでの衝撃的な体験だった。
大学生のとき「二度と行かない場所で、二度とできない体験をしたい」と考え、ケニアのマサイ族の家にホームステイしました。その際、アフリカ最大級のスラム“キベラスラム”を訪れ、衝撃を受けました。学校も、仕事も、明日食べるものさえもない。親もいない。自分のこれまでの人生で当たり前に存在したものが何ひとつなかった。彼らのためにできることは何かないだろうか……。そう思ったのがきっかけです。
そしてもうひとつ。先進国がアフリカで行う社会貢献活動がいかに現地の人のためになっていないかを知り、大きなショックを受けました。例えば、アフリカへは日々大量の洋服が送られてきますが、これは現地で洋服を作る人、売る人たちの仕事を奪い、アパレル産業が成長する機会を奪っています。また、教育支援団体により多くの学校が作られていますが、大半は建てて終わり。継続して運営する仕組みがないと、長続きしません。
アフリカでそうした真実を知るたびに、先進国が行っている社会貢献活動は自己満足でしかないと痛感しました。現地の人たちが本当に求めているアクションとは一体何か。それを真剣に考えながら、彼らが「自走できる」仕組みを作らなければならない。そんな気持ちを抱いたんです。
日本で就職してからもその想いが消えることはなく、会社員と並行してNPOを設立。現地で学校を建設することから始め、持続可能な教育事業を模索しました。

――思い立ったら行動する。銅冶さんのそのバイタリティとパーソナリティの根底にはご両親からの教えがあったという。昔から「やってもやらなくてもいいことでも、まずはやってみなさい」と両親から言われて育てられました。なので「やってみよう」という気持ちが芽生えたときに、それを行動に移すことに対して心理的なハードルはありません。いつでもポジティブに挑戦できるのは両親のおかげであり、今でも最も大切にしている言葉です。

――会社員と並行してNPOを運営していたが、2014年に退職し、同年にクラウディを立ち上げることになる。ケニアに限らず、アフリカでは少し田舎に行くだけで、ジェンダーの格差が衝撃的であることに気付かされました。女性たちはせっかく学校を卒業しても、それを活かせる仕事がなく、胸を張って生きていくのが本当に難しい社会なのです。
この社会課題を解決するには、彼女たちに就業の場を創出するしかない。これを我々の次なるミッションとすべきだと考えました。教育を受けたことのない人でも従事できる仕事で、かつアフリカならではの文化を発信できるビジネスは何だろうと試行錯誤した答えが「アフリカを象徴する伝統的なファブリックでモノを作ること」でした。素晴らしい民族衣装と生地がここにはあり、女性たちは縫製作業に慣れている。持続可能なアパレル事業で雇用を維持しながら、利益をNPOへも循環させる。そんな狙いでクラウディはスタートしました。
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