[左]柳亭小痴楽さん [右]瀧川鯉斗さん
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すべての写真を見る瀧川鯉斗さんと柳亭小痴楽さんは、落語界を担う若きホープであり、下積み時代をともにした、まるで兄弟のような間柄だ。
ここでは服好きの両者が、“気分なデニム”をテーマに私服で登場。自分らしさと新しさ。ふたりの私的デニムスタイルを表すなら、こんな言葉がしっくりくる。
ファッション観で共鳴するおふたりだが、どうやら小痴楽さんは鯉斗さんにもの申したいことがあるそうで……。
ふたりの軽妙な噺とともに、等身大の姿を覗いてほしい。
瀧川鯉斗 × 柳亭小痴楽 対談
自分らしく、新しく。落語家のデニム噺

ハイ!スタンダードで購入したカーハートのデニム。薄すぎず濃すぎない、絶妙な色みが小痴楽さんのツボだという。合わせたシャツはハリウッドランチマーケットで購入したものだ。「このストライプシャツを着ていると、周囲から『爽やかですね』とよく言われます(笑)。武骨なデニムだからこそ、トップスでそんな雰囲気を加えたいんです」。すべて本人私物
——早速ですが、おふたりは仲が良いと伺いました。どんな間柄ですか?瀧川鯉斗(以下、鯉斗) 僕がこの世界に入ったのが21年前で、その9カ月後に小痴楽が入門してきて。でも実はその前に一度会っているんです。
柳亭小痴楽(以下、小痴楽) え!? いつだろう?覚えてないな。
鯉斗 入門する前に一度、浅草演芸ホールの楽屋に小痴楽が来たことがあったんです。そのときの彼が赤髪にピアスっていういでたちで「ヤバい人がいるな」と思ったのを覚えています。
小痴楽 そうでしたか。兄さんは初対面のときから、先輩だけど友達のような空気感を醸していて、当時16歳だった僕を理解してくれそうな人だなって。兄さんが19歳くらいでしたね。
鯉斗 そうだね。
柔術を習い始めてからというもの、12㎏ほど痩せて体型が変わり、着ていた服がブカブカに。最近はあらゆる服をサイズダウンして買い直す日々だという。「このブラックデニムはお気に入りのジャパンブランド、スーパーサンクスの一本。今の気分は、2000年代初頭に流行った細身のデニムをスタイリッシュにはきたいんです」。すべて本人私物
小痴楽 正式に入門してからは、兄さんが昔ヤンチャだったという話を、諸先輩方から聞いたんです。実は僕も学生時代はわりとそのタイプだったので、勝手に気が合いそうだなと思っていました。そして初めて挨拶をさせてもらったときに「当時、バイクは何に乗っていたんですか?」って聞いたら、兄さんが「人のものだから、何に乗っていたとかはないな。何でも乗ってたよ」って。さすが本職は違うなあと(笑)。
鯉斗 まあ、実際はカワサキの「ゼファー」に乗っていたけどね(笑)。
小痴楽 あとそうだ!ある日僕、一度大遅刻をしまして、兄さんにすごい迷惑をかけたことがあったんです。でも兄さん、何度も謝っていたにもかかわらず、その日はずっと無視して、とにかく無言で睨みつけてくるだけ。しかも絶対に目を逸らさない。あれはまじで怖かった。
鯉斗 ちょっと(笑)!俺の怖い話しかしてないぞ。デニム特集なんだからデニムの話をしないと。
青春時代に育まれた現在のデニム観

日本で最初にセルビッジデニムを作ったステュディオ・ダ・ルチザンのデニムをラフにロールアップ。「シンプルにスウェットを合わせて、王道アメカジに仕上げました。それでも白を選択することでクリーンに。僕のデニムスタイルの基本です」。
——気心知れたおふたりの関係性が伝わってきます。鯉斗さんが「怖い」という話は一旦置いておいて、ファッションとデニムの話をお願いします。鯉斗 いや「怖かった」ですよ(笑)、今は全然怒りませんから。そうそう、ファッションは昔から大好きでしたよ。デニムだと昔は、リーバイス「501」の赤ミミをよくはいていました。
小痴楽 僕は小中高と私服だったのでファッションはわりと身近で、気を使っていました。裏原系に始まりスケーターファッション、ハイブランドまでいろいろトライしました。入門後は師匠の付き人として恥ずかしくないように、小ぎれいな格好をするように意識していました。それこそOCEANSもチェックしていましたよ。
デニムを軸にモノトーンで仕上げたこの日のプライベートスタイルは、スニーカー以外すべてスーパーサンクスのもの。「デニムの足元は、コンバース『チャックテーラー』がマイルール。個人的にいちばん落ち着く組み合わせなんです」。
——ありがとうございます!最近はどんなブランドがお気に入りですか?小痴楽 基本的には、子供の頃から馴染みのあるハリウッドランチマーケット(以下、ハリラン)とMHL.。あとデニムでいうと、印象に残っているのは中学生の頃、母親に買ってもらったラングラーですね。吉祥寺の古着屋さんでショーケースに入っていたヴィンテージ。母と一緒にお店でいろいろ探したのですが、気に入ったものがなくて。そんなときに母がガラスケースの中にあるデニムを指差して「あれカッコいいから、一回はいてみる?」って。いざはいてみると、それが当時の自分が理想としていたダボッとしたストレートで、それを買ってもらったんです。母の審美眼の鋭さと相まって、あのときのことは鮮明に覚えています。
鯉斗 そのデニムは今もあるの?
小痴楽 いえ。だいぶはき込んだので捨ててしまいました。今思えば取っておけばよかったなあって後悔しています。その後はディーゼルの細身のものをはいたり、A.P.C.にハマったり。今はハリラン以外に、ステュディオ・ダ・ルチザンやウェアハウスが気に入っています。兄さんが今日はいているデニムもイイ感じですね。
鯉斗 これはスーパーサンクスというブランドのもので、デザイナーさんと知り合いなんだよね。デニムは頻繁にはいているわけではないけど、これは定期的に愛用してます。
挑戦できることも定番たるデニムの愉しみ
——今、欲しいデニムはありますか?鯉斗 ドルチェ&ガッバーナかな。昔、稼げるようになって真っ先に買ったブランドだから、自分にとっては特別な存在。また、ああいうグラマラスなデザインが気になります。
小痴楽 僕はオーバーオール。インディゴでもヒッコリーでもいいから、カッコ良く着こなしたい。
鯉斗 あとGジャンも欲しいな。ちょっとタイトめに着て、それこそドルチェ&ガッバーナのデニムセットアップとかチャレンジしたい。
小痴楽 兄さんは羨ましい、というかズルいほど奇抜な格好が似合うんですよ。あ、思い出した!僕の結婚式の二次会に兄さんが来てくれたんですが、ヒョウ柄のスーツだったんですよ!
鯉斗 ああ、そうだった(笑)。
小痴楽 それを見た妻が「鯉斗さんが着ると派手に見えない」って驚いていました。凡人には勇気が要るスタイルですが、兄さんなら自然に見えるっていう。ホント、ズルいよなぁ。
落語家 瀧川鯉斗●1984年生まれ。飲食店でのアルバイト中に、師匠である瀧川鯉昇の落語独演会を聴き感銘を受け、弟子入りを直訴。2005年に前座となり、09年に二ツ目、19年には令和初の真打に昇進した。
落語家 柳亭小痴楽●1988年生まれ。2008年に父・五代目柳亭痴楽の門下に。09年、二ツ目に昇進し、「三代目柳亭小痴楽」を襲名。19年9月、落語芸術協会にて、15年ぶりとなる単独での真打昇進を果たす。
OCEANS 11月「やっぱりデニムは、人だ。」号から抜粋。さらに読むなら本誌をチェック!