メジャーデビューと転機、そして地元へ
1989〜90年の『イカ天 』
(※三宅裕司の「いかすバンド天国」)ブームの最中、インディーズで人気を集めていたニューロティカは、1990年にメジャーデビューを果たす。

「僕は反対でした。文化祭の延長みたいに楽しくやりたかったから、仕事となると責任が重いなって。でも今考えるとあのときインディーズで止まってたら、今のニューロティカはなかったと思います。
全国を回って、月に15万円もらって、美味しいもの食べさせてもらって……あの数年間で普通の人が20年かけて経験するようなことを一気にやった感じですね」。

同時代にはザ・ブルーハーツやジュン・スカイ・ウォーカーズ、レピッシュなど、ライブハウス出身のバンドが続々とブレイクしていた。
「日比谷野音や新宿厚生年金会館が“バンドマンのステータス”だった。ブルーハーツなんて(ライブ動員数の)ゼロが一個も二個も違うくらい人気で。でも、うちだけはブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズ全部と対バンしてる。ちょっと自慢です(笑)」。
95年、契約終了とともにメンバー3人が脱退。作曲を担っていた修豚も去り、バンドは存続の危機に陥った。
「僕はやめるつもりだったんです。でも新メンバーの気合いがすごくて。それからはDIY精神で、ライブのブッキングもグッズ制作も全部自分たちでやるようになりました。有限会社を作って、4人で稼いで分配する仕組みにしたんです」。

同時期、父親が病に倒れたことであっちゃんは八王子へ戻る。
「祭りの書き入れ時には以前から手伝ってたけど、本格的に戻ったのは38歳のとき。親父が倒れて、メンバーも『ふじやを手伝っていいよ』って言ってくれて。朝5時前に起きて仕入れに行って、陳列して、リハーサルがある日は夕方に店を閉めてスタジオに行く。それが当たり前の日常になってました」。
3/5