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醤油蔵を地域の人々とともに復興させたい

とはいえ、廃業から70年以上が経っていることもあって、醤油蔵を復興させるのは雲を掴むような話であり、どこから手を付けてよいのかさえもわからなかった。先代の死去から10年が経ち、新聞の片隅に載っていた地元の商工会が主催する観光ビジネス講座へ3年間通い、「本物を大切に伝える」ことの重要性を学んだ。
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「私にとっての本物は、やはり醤油。昔ながらの製法で仕込んだ醤油を味わってもらい、宿泊施設で醸造文化に触れてもらう。“泊まれる醤油蔵”をコンセプトにしました」(木村さん)

2013年には古文書の読み方講座にも通った。70代、80代の受講者たちが協力して古文書を解読してくれた。そこには米が不作の時期に地域の人々とお互いに助け合ったことや、蔵人たちを家族のように大切にしていた様子がリアルに書かれていて、先代の口癖は、代々受け継がれてきたものだと実感した。

マルト醤油18代蔵元当主、木村浩幸さん(筆者撮影)

マルト醤油18代蔵元当主、木村浩幸さん(筆者撮影)


あー2015年、地元自治会の総会に出席して、泊まれる醤油蔵について説明する機会を得た。ところが、集落の人々から「せっかく静かに暮らしているのに、辞めてくれ」と反対され、木村さん自身の思いを何一つ語ることができないまま総会は終わってしまった。
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翌年、総会で説明する機会を得たが、司会から木村さんの名前が呼ばれた瞬間に「いい加減にしろ!」、「去年に決してる話と違うんか」との声が起こった。

「集落の景観を次世代に残したい。マルト醤油の復興がその一歩になると思ってチャレンジしたい」と訴えたものの、「自分がそうしたいだけちゃうか」と、ヤジはおさまらなかった。そんな中、これまでずっと黙っていた人が話しだした。

『集落のことを思って挑戦しようとしているのを応援してやるのが年長者の務めではないか』とおっしゃいました。このひと言にヤジを飛ばしていた人たちも沈黙し、場は静まり返りました。1年後の総会までに国や県、町からの支援を取りつけて、より具体的な事業計画を提出することを約束して総会は終わりました」(木村さん)

宿泊客に好評の朝参り

木村さんは約束した通り、国と県、町からそれぞれ支援を取りつけた。さらに奈良県が主催の全国から集まった254の個性豊かなビジネスプランの頂点を決める「ビジコン奈良2017 決勝大会」でまほろば部門 部門賞に輝いた。これからの奈良が寺社仏閣だけではなく、その地にある生業や風習なども観光コンテンツになるという希望を持てたことが評価されたのである。その反響は大きく、それまで融資に対して後ろ向きだった銀行に話を聞いてもらえるようになったのだ。

地域のコミュニティは濃密ゆえに面倒くさい。その反面、意見が一致して一筋の光を見出したときに強い力を発揮する。木村さんにとっては3回目となる自治会の総会はこれまでと雰囲気がガラリと変わっていた。集落の人々はお客様をお迎えする場合どのような課題があるかを真剣に話し合った。

一方、木村さんはコンセプトに掲げた“泊まれる醤油蔵”だけでは観光において“点”、つまり、客はマルト醤油にだけ足を運んで帰ってしまうことを危惧していた。“点”ではなく“面”にすべく、日本最古の神社である大神神社の妃神が祀られている近くの、村屋神社に協力を仰いだ。

そして実現したのが宿泊客の朝参りである。筆者も泊まった翌朝に体験させてもらった。この田原本の地で、いや、この国で連綿と続く歴史の原点に触れたような気がした。朝参りをしたからこそ、この後の明日香村での観光もとても有意義なものになった。

村屋神社に朝参りへ行く途中で見た景色。大和川から三輪山や二上山などを望む景色に日本の始まりの地であることを実感した(筆者撮影)

村屋神社に朝参りへ行く途中で見た景色。大和川から三輪山や二上山などを望む景色に日本の始まりの地であることを実感した(筆者撮影)


マルト醤油の復興で困難を極めたのが醤油づくりだった。製法そのものは地元の醤油組合などを通じて知ることはできても、先代がどのように醤油をつくっていたのかまではわからなかった。いくら古文書を読み解いても記されておらず、醤油づくりの技術はすべて先代からの口伝によって継承されてきたのである。

「参考になったのが、『子供の頃に醤油蔵でかくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ』というご近所さんの話でした。80代、90代の方を訪ね歩いて醤油蔵の様子について話を聞きました。それらをパズルのように繋ぎ合わせて今の形にしました。醤油の原料となる大豆や小麦も大和川沿いで栽培している農家さんに頼んで作ってもらいました」(木村さん)
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