少子高齢化が進む地域で、その魅力を見出した企業や外国人よる土地の購入は、活性化への希望である一方で、地元に不安を与えることもある。「その点、弊社は日々の清掃や祭への参加など、地域とのつながりを大切にするからこそ機会をいただけている」と吉川。
大原山荘を皮切りに、鞍馬寺山頂、修学院開根坊町の武家屋敷、福田寺など次々と話が舞い込み、すでに洛北エリアで5カ所を取得。「話があれば100軒でも購入したい」という。大胆な発言だが、その資金は吉川が社長就任後の利益から拠出されている。非上場であり、潤沢なキャッシュをもつ同社だからこそ、感覚を信じ、長期目線での挑戦ができるというわけだ。
大原山荘のなかでもひときわ年季の入った山居は、1971年に別の場所から移築された歴史をもつ。「最初に訪ねた際に扉を開けたらコウモリが出てきたが、その先に目を奪われる里山の景色が広がっていた」と吉川。
京都のプロジェクトは「KYOTO ARTSCAPE」という。ARTSCAPEはARTとLANDSCAPEの造語で、アートという表現に関して、吉川は交友のあるブラック・アーティスト、シアスター・ゲイツに触れた。シカゴ出身のゲイツは、貧困と犯罪が深刻化する地元で空き家をコミュニティスペースに変えたり、日本文化と黒人文化を融合した「アフロ民藝」を生み出すなどして、“価値の錬金術師”と呼ばれる。
「彼の活動を見て、現代アートの本質は作家の生き方や哲学にあると気づいた。このプロジェクトもいわば、里山と文化を再生していくアート。大原山荘は旗艦店としてショールームに、古民家はリノベーションしてコンドミニアムに。その価値を値付けし、共感してくれる人に提供したい。外国人や知的富裕層がまず反応すると見ています」
文化を嗜む「主人」を増やしたい
すでに再生は始まっている。
山居は、文化的資源として移築した1971年当時の姿に復元。日本庭園は、大原の特性である苔の絨毯を裸足で歩けるように、伝統的な様式から脱却したアヴァンギャルドな表現を目指す。迎賓館は、建築物という枠を超え、「庭(ば)」という新たなコンセプトを導入。山から引いた水で水景をつくり、山と里をなだらかにつなぐ空間へと再生。壁と建具はスケルトンにすることで、内と外、里山の風景との境界線を曖昧にする。
秋には紅葉の美しい日本庭園は、のどかな棚田、里山とボーダーレスにつながる。
イメージを具現化するのは、その道のプロフェッショナルだ。山田宗徧流第11代家元 幽々斎 山田宗徧が茶室を、平等院宝物館を手がけた宮城俊作がランドスケープを監修。日本庭園の作庭と育成・管理は植彌加藤造園、迎賓館のリノベーションとアート監修は名和晃平。
「私が思い描く世界観に、専門家の知見と感性をかけ合わせる。完全に任せるのではなく、まず主人の趣向があり、共につくり上げるからこそ、その場には唯一無二の品格と質感、揺るぎない価値が宿る」。この主人という存在が、プロジェクトの鍵となる。
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