
太陽が顔を出した、春の陽気のある日。新潟県妙高市にある関温泉スキー場にふたりのスノーボーダーが姿を見せた。
ひとりはファッションや音楽など都会的カルチャーの中心人物で30年に及ぶスノーボード歴を持つ藤原ヒロシ。もうひとりは日本のスノーボードシーンを牽引したレジェンド、竹内正則さんを父に持つ次世代のホープ、竹内悠貴。
歳は親子ほどに離れながらも雪を滑る楽しさを共有する、彼らの心地良い滑りとトークのワンデイセッションから、雪山とふたりが愛用する「Burton(バートン)」の魅力を探ってみた。
雪山では年齢、職業は関係ない
——朝こそスピードが出たものの、春の陽気から早々に失速しやすい雪質に変わりました。3本で引き上げることになりましたが、普段はもっと滑っているんですか?藤原ヒロシ(以下、藤原) 普段もこんな感じです。関温泉はだいたい3本かな。いつもゆっくり過ごしてますね。
竹内悠貴(以下、竹内) ヒロシさん、都内から妙高まで来ても、いつも午後にはいませんものね(笑)。
藤原 雪が良くても午後には帰ってるかな。ここでは朝もわりとスローで、朝イチを狙って滑るということはほぼありません。
まずは麓からペアリフトに乗って滑り、コース途中にあるレストランの「タウべ」まで滑ったら、そこに寄って「どうしようか」と一緒に来た友達と話をして。
スキー場のピークに行くシングルリフトが動いたら、それに乗って沢地形を楽しみに行く。帰りはちょっとしたツリーランを楽しみながら駐車場へ戻る。という感じです。
竹内 僕の地元・妙高エリアにある関温泉は、ボトムからのペアリフトと、中腹からのシングルリフトが1本ずつあるだけのコンパクトなスキー場なので、ローカルもあくせくせず、のんびり楽しんでます。
だいたいは午前中に数本滑って昼頃には終わり。ペアリフトをまわしてバンバン滑って、それでみんな満足。降雪があって雪深い日も同じリズムで、午後にローカルは誰もいません。午前中だけでお腹いっぱいになっちゃう。
藤原 じゃあ、僕もリズムはローカルですね。
——妙高エリアにはもうだいぶ長く通っていますよね。藤原 シーズンを通して、ここに来るのがいちばん多いんじゃないかな。たいてい友達と3〜4時間かけて自走で来ます。雪が悪いからといって、すぐに帰ることもありません。知人に挨拶したり、ゲレンデの「タウべ」で談笑してから帰ったり。
関温泉スキー場内にあるレストラン「タウベ」。特にピザとパスタが絶品。
竹内 ゲリラ的に出没しますよね。一緒に来る友人のインスタとかを見て、「あ、来るんだ」「今いるんだ」って思うこともありますし。でも東京の中心にオフィスを構えて、ファッションやカルチャー、アートなどのシーンに影響力を持つ人が関温泉に30年も通っているって、すごい不思議です。
藤原 ここでしか会わない知り合いもいっぱいいるからね。関温泉友達というか、ウェア以外の格好はさっぱりわからない人たち。シェフの私服を知らないのと同じで。
竹内 通い出したきっかけはなんですか?
藤原 当時、Burtonのトップライダーだったウエ(植村能成)くんとナル(吉村成史)くんと出会ったことかな。
1990年代のはじめにスノーボードを始めて、その頃は普通にゲレンデを滑っていたんだけど、3年くらいで飽きてしまって。腰が重くなりだしたときに2人と出会い、誘われたのが関温泉。
ここは斜面のほとんどが非圧雪でパウダーコースばかり。初めてバックカントリーみたいなスノーボードを経験したことでハマったんだよね。おそらく2人に出会わず、関温泉に来ていなかったら、あのままやめていたと思う。
関温泉スキー場は非圧雪エリアが多く、ハイシーズンには多くのパウダー好きがやって来る。
竹内 じゃあウエさんとナルさんのおかげで、それまでと違うスノーボードと出会えたんですね。
藤原 そう。スノーボードそのものが楽しくなったし、ウエやナルたちとパウダーを滑って、その楽しさを共有できる感じが気持ちいいというか。
僕は東京でもそういうふうに生活しているんだけど、雪山ではみんながよりフラットな感覚になれて、年齢も職業も関係なくなっていく。
「いい雪を滑って楽しい」という、共有できるものがあるからなのかな。人と人とのコミュニケーションが取りやすくなる印象なんだよね。
竹内 音楽で言うとジャムセッションをしている感じなんですかね。
藤原 そうだね。近いと思うな。
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