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密林での不思議な体験

アマゾンに移住した1993年頃の家族写真

アマゾンに移住した1993年頃の家族写真


━━ジャングルでの生活は、カルチャーショックというレベルではなかったですね。掘っ建て小屋での電気がない暮らしです。ロウソクの灯りのもとで食事をしていると、口のなかに何かが入る。思わず、ぺっと吐き出すと、温めた牛乳のなかに白い蛾が入っていて、それを口に入れていたのです。ロウソクに寄ってきた蛾や虫が牛乳の中に落ちるんです。

移住した頃の村の様子

移住した頃の村の様子


移住して集落の子どもたちとはすぐに仲良くなりました。一緒に川で泳いだり、木に登ったり。ピラニアですか? 地元の子たちは雨期や乾期の水かさでピラニアがいる場所を熟知しているので、川で泳いでも襲われることはありません。ただ、一緒にカヌーで遊んでいて、時々、岸辺の木にドンとカヌーの船先がぶつかると大変です。木の上から巨大なウニのような毛虫がボタボタと落ちてくる。一緒に蛇も落ちてきます。もう大騒ぎですね。

トラウマになったこともあります。近所のおばさんが、町でビーグル犬を買ってきて、「警備員」と名付けました。私も毎日遊びに行き、「警備員」を可愛がっていました。ある日、その警備員が恐ろしい鳴き声をあげたのです。慌てて見に行くと、森から現れた黒いオンサ(ジャガー)が首を噛んで食べようとしている。オンサは警備員の首を咥えたまま森に連れ去っていきました。

私自身も死にそうな体験をしました。それは吸血性の虫です。毛根に入り込むムクインというダニに噛まれたり、ピウンという蚋(ブユ)に刺されたりすると、猛烈な痛みと痒みで体中が腫れ上がり、膿んだようになります。一日中、刺されたり噛まれたりされ続けて、体はまるで草間彌生さんのカボチャの作品のように膿とあざで斑点だらけになる。両足だけで数えたら108カ所に噛まれ跡がありました。
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虫によっては失明の恐れやマラリアが伝染することがあります。ただ、現地の人はマラリアを伝染させる蚊を見分けることができます。蚊のお尻の上がり具合やフラフラした飛び方でわかるというのです。もちろん、私たちにはわかりません。一日中、刺されるので、激痛で死にそうになり、次第に体力がなくなり、食事もできなくなります。家族全員が寝たきりのような状態になりました。

集落に医者はいませんし、医者がいる町に行くにはエンジン付きの船が必要で、それでも何日もかかる。

ある日、民間療法の担い手であるシャーマンが我が家を訪ねてきました。「マリマリが手に入ったぞ」と言うんです。そして、小瓶に入った黄色い液体を私たちに塗りました。すると、傷口にカサブタができて、2〜3日するとカサブタが取れて、きれいな皮膚に戻っていました。

コパイバの採取の様子

コパイバの採取の様子


マリマリは南米アマゾンで聖木と呼ばれるマメ科のコパイバから採取される樹液です。南米には35種のコパイバが自生しています。コパイバの樹液が民間医療のメディカルハーブとしてインディオたちに利用されているのです。移住した一年目に家族全員が寝たきりになったのですが、マリマリを塗るようになってから、面白いことに二年目から虫に刺されても膿んだり腫れたりすることがなくなりました。

兄が中学に進学する時期になり、これ以上義務教育から離れるのはさすがに問題ではないかという話になり、一家で帰国し、別府で暮らすことになりました。私が小学5年生の時です。それまでの生活体験があまりにも違いすぎるという理由で、市内の公立学校には受け入れてもらえず、カトリックの小学校に転入となりました。ジャングルでの環境から180度変わりましたね。水泳大会でみんなが25メートルを泳いでいる時に、気がついたら私だけプールを折り返して50メートルを泳いでいたとか。

日本に戻ってきて、友だちのお父さんの職業が「サラリーマン」だと聞き、初めて知る職業で、背広を着てネクタイをして働く大人を初めて見ました。そんな服装で仕事をする人がいるのかと、私はサラリーマンに憧れるようになり、大学を卒業後、半導体商社のマクニカに入社しました。憧れのサラリーマン生活でしたが、4年ほどして実家から帰ってきてほしいといわれます。父親の健康状態と、家業である「サポートジャングルクラブ」がうまく回っていなかったのです━━。

家業が化粧品製販業の認可をとって製造販売するのは、子どもの時、アマゾンで体験したコパイバマリマリである。現地アマゾンの原料を使って、スキンケア商品から歯磨き粉まで販売しているが、問題は2つあった。
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