OCEANS

SHARE

  1. トップ
  2. ライフ
  3. なぜ藤原 裕のまわりには人とデニムが集まるのか。「ベルベルジン」オーナーが証言!

2025.03.30

ライフ

なぜ藤原 裕のまわりには人とデニムが集まるのか。「ベルベルジン」オーナーが証言!

[左]ベルベルジン オーナー 山田和俊●1969年、大分県生まれ。98年に東京・原宿の竹下通り裏手にベルベルジンをオープン。その後、とんちゃん通りに移転し現在にいたる。

[左]ベルベルジン オーナー 山田和俊●1969年、大分県生まれ。98年に東京・原宿の竹下通り裏手にベルベルジンをオープン。その後、とんちゃん通りに移転し現在にいたる。


▶︎すべての写真を見る

デニムは世代やジャンルや価値観を超えて、人をつなげる“装置”になる。デニムをハブに集まる人にこそ、無限の面白さがあるのだ。

そんなデニムと人のつながりを数多く導いているのが、ヴィンテージシーンを牽引する藤原 裕だ。

なぜ藤原の周りには人が集まるのか。「ベルベルジン」オーナーとの対談から、その魅力を紐解く。

「ユタカは人に好かれる。古着店じゃなくても成功している」

山田 1998年に竹下通り裏手にあった店舗から、今のとんちゃん通りに移転したオープンの初日に遅刻したよな(笑)?
advertisement

藤原 引っ越し作業で2日間徹夜したせいか、朝10時までに行かなきゃいけないのに、目覚めたのが10時で(笑)。懐かしいです。あれから27年、さまざまなことを教わりました。

たとえば古着の知識ひとつをとっても、入社当初は雑誌やフリマ仲間から得る情報しかなかったので知識不足で。失敗もしましたが、いろいろ経験させていただくことで勉強になりました。

山田 俺も古館(古館雄樹 副社長)も最初は知識がなかったから、お客さまから教わることが多かった。当時シアーズのデニムシャツを、マチが付いてないという理由で4800円で売ったけど、雑誌を見たら4万8000円だった(笑)。当時は同業者から仕入れ先にされていただろうな。

藤原 あと自分は25歳で店長になったのですが、あの当時は売り上げを上げないと、というプレッシャーがハンパなかったです。

山田 あ、そうだったの?全然気付かなかった。でもユタカは、もし古着店じゃなくても、どこでもやっていけていたと思う。人に好かれるし。今はうち以外でもいろんな仕事をしているけど、ずっとベルベルジンで、のびのびと楽しく、やりがいを持ってやってくれればそれで十分。

藤原 ありがとうございます。個人的には、これからも新しいことを取り入れつつ、変えちゃいけない部分は残していきたいと思っています。

たとえば原宿の本店は、地下のヴィンテージフロアもそうですが、改装の際、1Fの床部分などは山田さんとペンキを塗ったりして、すごく思い入れがありますし、あとフェイクアルファもそうですね。あの天井の高い内装と螺旋階段は、これからも残さなきゃいけないと思っています。

山田 フェイクアルファは、80年代からあるお店を当時のまま残すというのが自分たちの使命というか。同じように、今後、ベルベルジンも、何十年も先まで変えずに残っているような店にしてほしい。しかし出会って27年か。ユタカとも長い付き合いだけど、ここまでくると家族みたいなもんだな。

藤原 うれしいです。でもそのくらい親密な関係性じゃなかったら、忘年会で毎年のように掴み合いの喧嘩なんて起こらないですよ。しかもこのご時世に(笑)。

山田 いや。あれに関しては全部ユタカが悪い(笑)。
OCEANS 5月「デニムは、人だ。」号から抜粋。さらに読むなら本誌をチェック

山本雄生=写真 オオサワ系=文

SHARE