どうやったら世の中に広まるか
知識と経験不足を痛感した横田は、3年ほどかけてアパレル製造の基礎を徹底的に学び直した。毎日20時間働き、8月から12月まで休みなしという、文字通り不眠不休の日々を過ごした。
2009年の社長就任時の売上高は3億円。横田は、ナンガのダウンジャケットを世に広めるための土台づくりに着手する。まずはブランドの知名度を上げるため、著名ブランドのOEMやダブルネーム(コラボ)商品の展開、大手セレクトショップとの商品開発などに力を注いだ。
「大手アパレルの知名度を利用して、ナンガという会社がダウンジャケットをつくっていることを周知する。同時に、売れるデザインやトレンドを学んでいきました」
10年以上のOEM生産で技術とノウハウを蓄積した後、16年、満を持してナンガをリブランディング。デザイナーを迎え入れ、それまで横田ひとりで担っていた業務を分業化。翌年には売上高10億円を達成し、コロナ禍のアウトドアブームも追い風となり、ダウンジャケットはヒット商品となった。現在は約40社のセレクトショップと取引し、全国に11店舗を展開。今後は15店舗に拡大予定だ。
しかし、急激な成長におごることなく、横田は地に足のついた経営を重視する。
「このままでは、若い社員たちが『簡単に売れるものなんだ』と勘違いしてしまう。本心を言うと、苦労しながらものづくりの面白さを学んでほしいんですよね。社員と会社の足並みを揃えながらともに成長していくのが理想ですね」
(写真左)ダウンを充填する作業も工場で行われる。スペインやハンガリーから産地や品質にこだわった10種類以上の羽毛を輸入し、製品ごとに使い分けている。(同右)本社の2階では縫製作業が行われている。従業員の平均年齢は34歳と若く、社長と社員の距離も近い。
2017年からは海外展開を本格化。アメリカやヨーロッパを中心に世界各国で展示会を開催し、海外ブランドとのコラボを積極的に行うことで認知度向上を目指している。「『暖かさ』は抽象的な概念です。それを海外にまでどう具体的に伝えたらよいのかが課題でした」。そこで21年、独自の研究機関「ナンガ マウンテンラボラトリー」を設立。長年培ってきた羽毛の選定や使用量、構造設計などのノウハウを科学的に分析し、断熱効果や快適性を数値化。より高機能な製品開発に取り組んでいる。
「ナンガのダウンジャケットが支持される理由は、トップクライマーたちが極限の環境でも使用する高品質な寝袋を開発してきたという実績があるから。世界一のダウンジャケットブランドとしてトップラインになるためには、確かな根拠と技術があることを示すエビデンスが必要だと思っています」
横田智之◎1978年、滋賀県生まれ。高校卒業後、貸衣装屋に就職し、2年間トップ営業として活躍。2001年、家業であるナンガに入社。2カ月間の「山ごもり」と呼ばれる新人研修を経て営業職に就く。ダウンジャケット製造のノウハウをゼロから築き上げ、2009年の社長就任以降、従業員180人、売上高60億円規模の企業へと成長を牽引。
SUPPORTER’S VOICE
山野千枝|ベンチャー型事業承継代表理事
ある時、私の大学の授業を受講している学生が誇らしげに言ったんです。「滋賀にはナンガがあるから」。横田さんが家業に入った当時は、無名の小さな縫製工場だったのに、今や社員は180人。創業以来、培ってきた「人の体を温める」技術で海外展開。滋賀・米原にある世界ブランド。地域の若者が誇りに思う会社。ちょっとカッコ良すぎませんか?
ここがすごい!
暖かさの追求
1941年|横田縫製開業
布団
滋賀県の北東部に位置する米原市は、古くから近江真綿の産地として有名だ。真綿とは絹の一種で、蚕の繭を引き延ばして重ねたもの。ナンガは横田縫製として、地場産業であった布団の加工工場からスタートした。
1988年 |寝袋

Courtesy of NANGA
布団づくりで培った製法のノウハウや、ミシン・職人などのすでにある財産を生かして、2代目が寝袋の縫製を開始。現在も品質や機能性を磨き続け、売り上げの20%ほどを占めている。
2002年|ダウンジャケット

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3代目の横田は、寝袋づくりとは似て非なる「洋服づくり」にゼロからチャレンジ。暖かさへの研究開発にも注力し、現在ではグローバルマーケットで4億円の売り上げを見込むまでに成長させた。
Courtesy of NANGA
東京・原宿にある実店舗は、連日多くの客でにぎわう。2023年には京都、仙台と増やし、現在11店舗に。昨年には、ふとん専門の路面店「ナンガ フトンショップ」もオープンさせた。