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工場街で輝く、日本屈指の行列店

工業地帯の中にある「YOKOKURA STOREHOUSE」。青空が映える、無骨な外観が特徴だ(筆者撮影)

工業地帯の中にある「YOKOKURA STOREHOUSE」。青空が映える、無骨な外観が特徴だ(筆者撮影)


JR小山駅からおよそ6㎞。「横倉」という工業地帯の中に「YOKOKURA STOREHOUSE」はある。

工場街にピッタリなインダストリアルな内装は、シックでオシャレだがポップさもあり、すごく居心地がいい。

看板メニューは「昆布水つけ麺」。これを求めて、全国からラーメン好きが集まる(筆者撮影)

看板メニューは「昆布水つけ麺」。これを求めて、全国からラーメン好きが集まる(筆者撮影)


看板メニューは「昆布水つけ麺」。まずは麺をそのまま、そのあと藻塩で、そしてつけダレでと3段階楽しめる。

しなやかさが際立った麺で、食べるたびに麺がおいしくなっている。焼きのしっかり入ったチャーシューから低温調理チャーシューまで柔らかさと味のバラエティーもよく、楽しくおいしい。
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「食べログ」では3.90点という高得点で、栃木県で堂々の第1位だ(2024年12月23日現在)。日本を代表する屈指の行列店になっている。

もともとはプロサッカー選手を目指していた

店主の篠塚浩一さんは1977年栃木県小山市生まれ。10歳の頃から父の仕事の関係でアメリカへ。高校で日本に戻ろうと、受験をするが失敗。その後サッカーのプロを目指してブラジルに飛び立つ。

現地のプロチームの下部組織に入団し、19歳までサッカー漬けの毎日を過ごした。日本でプロになるために20歳になる前に帰国し、アルバイトをしながら社会人リーグに所属した。

必死で努力をしてきたが、このままサッカーを続けていくのは難しいと思い、生きていくために仕事を探した。

表参道や青山など国道246号沿いにある高級なフランス料理店に一軒一軒飛び込みで「従業員を募集していませんか?」と聞いて回った。

「プロサッカーチームは当時日本に10球団しかありませんでしたが、料理店は無限にあります。なので、一軒一軒回ればなんとかなるだろうと思ったんです。こうして21歳で完全未経験でフランス料理の道へ入りました」(篠塚さん)

篠塚さんはサッカーを忘れるために料理に没頭した。働いて家に帰り、寝る寸前まで料理書を読むという夢中の日々を過ごした。10年間でビストロからレストラン、そして最後はグランメゾンのお店にまで上り詰めた。

10年間の料理人人生を終え、その後2年間サラリーマンをやってみたが、いったい自分は何をやりたいんだろうと再び我に返る。

この頃、母親が癌を患う。篠塚さんの実家は餃子の「みんみん」の支店を営んでいた。このままではお店が続けられないと思い、篠塚さんは弟の大介さんと2人でラーメン屋を開こうと話し合う。ラーメン屋なら実家の店がそのまま使えると思ったからだ。

こうして2009年5月に「中華蕎麦 サンジ」をオープン。大介さんは近くの焼きそば屋で製麺機を借りて、麺の勉強をした。

極太のつけ麺を提供すると決めていたので、製麺所の麺ではなく自家製麺とハナから決めていたのであった。ある種のミーハー心から始まったラーメン作りだった。

「中華蕎麦 サンジ」時代の様子(筆者撮影)

「中華蕎麦 サンジ」時代の様子(筆者撮影)


栃木を含めた北関東はこれといった誇れるものがなく、おいしいラーメン店を作ることで誇れる街にしようと立ち上がった。

しかし、オープンして半年以上は閑古鳥だった。仕込んだスープや具材はほとんど廃棄する日々が続いた。
3/5

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