連載「イタリア人マッシのブオーノ・ニッポン!」とは…… アルフォートにルマンド、アルチュール……国民的お菓子ブランドとして多くのロングセラー商品を持つ「ブルボン」。
なんとあのイタリア人マッシも、すでに「ブルボンなしの人生は考えられない」ほどハマっているようで……。
【写真12点】「国民的お菓子、ブルボンの魅力」の詳細を写真でチェック 案内人はこの方! マッシミリアーノ・スガイ●1983年生まれ、日本食が大好きなイタリア人フードライター。 KADOKAWAよりフードエッセイ『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』を出版。 日伊文化の違いの面白さ、日本食の魅力、食の美味しいアレンジなどをイタリア人の目線で発信中。
日本のお菓子のイメージを変えた「ブルボン」
洋菓子といえばヨーロッパのイメージが強いと思う。その理由は、焼き菓子の歴史が長くて世界中に広がっているから。日本に移住する前にそう思っていた僕は謝らないといけないことがある。
日本の洋菓子と焼き菓子はヨーロッパ(イタリアも含めて)に負けないというより、ヨーロッパを超えた技術と美味しさがあったこと!
日本生まれの焼き菓子はたくさんあるが、「人生が変わった」と言えるほど意識が飛ばされたのはあのお菓子メーカー「ブルボン」のお菓子だ。僕は、ブルボンなしの人生を考えられないイタリア人になった。
ブルボンはルマンドやアルフォート、プチシリーズ、ロアンヌなどの素晴らしい商品がある。いや、ありすぎるのだ。「今日は何にしようかな」と思いながらも、手に持っているのはルマンドかアルフォートなことが多い。おそらく、多くの読者も同じ経験があるのではないかと思う。
そう考えると、僕が日本人になりかけている証拠かも?とニヤニヤしながらテンションが上がる。ブルボンが開発した商品とシリーズは本当に多くて、この記事ではアレンジや美味しい食べ方だけではなく、ブルボンの知られざる事実まで書きたいと思う。
マッシが感動したドライ苺の詰まった「ストロベリーショコラ」。
まずは知ってもらいたいのはブルボンの出身地だ。本社と研究所、工場の10カ所中、9カ所は新潟県を拠点としている。残りの工場1箇所は山形県。ちなみに、中国とアメリカにも拠点があるようだ。なぜ新潟県になったのか、そこには深い理由があった。
ブルボンのルーツについて、現在から100年前に時を遡ってみよう。ブルボンのはじまりは1924年、新潟県柏崎市にある和菓子の老舗「最上屋」からその歴史をスタートさせたようだ。「最上屋」からブルボンの前身となる「北日本製菓」として運営していた大正時代、関東大震災が起こった。
創業者の吉田吉造さんは、関東大震災の影響で地方への菓子供給が全面ストップした現状を見て、「地方にも菓子の量産工場を」と決意。これがブルボンの元になったのだ。この気持ちが美味しさの元になったのだ。ますますブルボンが好きになる。
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