▶︎すべての写真を見る 1980年代、スニーカー業界は熾烈な開発競争に突入した。アッパー材の主役がレザーに取って代わられると、堰を切ったようにさまざまなテクノロジーが生み出された。
1985年にはナイキが「エア ジョーダン 1」と「ダンク」を立て続けにリリース、その先陣を切るも翌シーズンは足踏みせざるを得なくなる。マイケル・ジョーダンが怪我でシーズンの大半を欠場したためだ。その間隙を突いて競合各社は一斉に渾身のモデルを投入した。コンバースのそれが「ウエポン」だった。
1986年当時の「ウエポン」のカタログ。
その前段として、親会社だったアライド・カンパニーの撤退に触れないわけにはいかない。コンバースは1982年までアライド・カンパニーの傘下にあった。この親会社はテクノロジー開発には乗り気ではなかったらしい。
なぜならばすでにドル箱の「オールスター」などをもっていたからだ。アライド・カンパニーが経営から外れたことで、コンバースは心置きなくパフォーマンスシューズにリソースを注ぐことができるようになった。
「ウエポン」の前身となるモデル「スターテック」が誕生したのは1984年。同年、ロサンゼルスで行われた国際競技大会のオフィシャルシューズスポンサー契約を結んだコンバースは各国のバスケットボールチームに「スターテック」を提供した。
そうして1986年、満を持して「ウエポン」をリリースした(前年にはNBAと契約を結んだといわれているが、残念ながら公式の記録には残っていない)。
「ウエポン」は発売2年で400万足を売り上げる大ヒットを記録した。
シェブロン&スターつながりでランニングシューズ「スターファイヤーSC RE MA」も紹介。スエードとシルバーをコンビ使いしたアッパーにテック感のあるソールが◎。1万7600円/コンバース(コンバースインフォメーションセンター 0120-819-217)
勝因のひとつはこれまでに積み上げてきたキャリアが反映されたテクノロジーにある。最たるものがくるぶしをホールドするY-字型のサポートカッティングシステム、通称、Y-BARだ。当時としては画期的なフルレングスのEVAミッドソールや取り外し可能なインソールを採用、軽量性やクッション性にも秀でていた。
「プロレザー」から引き継がれたシェブロン&スター、そしてNBAのチームカラーを中心に13色をラインナップしたカラバリもファンの心に火をつけた。
話は横道に逸れるが、「プロレザー」はそのダンクシュートが芸術の域にあると評されたジュリアス・アービングが愛用したモデルで、ドクターJモデルの名で親しまれたレザーハイカットの先駆的一足である。
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