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2024.10.24

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「きっかけは東日本大震災です」伊豆・下田に移住した写真家が“海人”を撮り続ける理由



「SEAWARD TRIP」とは……
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生まれ育った東京を離れ、伊豆・下田に移住した写真家の津留崎 徹花さん。

移住先で撮り続けている“海人”を通して教わった、人生における気づきについて伺った。

商品棚が空の店内で自分の無力さを痛感

きっかけは旧知の雑誌編集者によるSNS投稿だった。内容は東京・代々木上原での写真展を知らせるもので、タイトルは「海と、人と」。写真家の津留崎徹花さんが撮り続けてきた海人の写真を飾るのだという。
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でも、代々木上原で、海人? 東京を代表する高感度な街に相応しいとは言いがたいテーマだ。

海人とはその身ひとつで、海に潜り、ときに岩場へ足を運び、貝類や海藻を採る漁を生業とする人のこと。男性を海士、女性を海女と書くが、彼らは大海原を生活の場とする人たちで代々木上原とはリンクしづらい。

だがむしろ、そのギャップが印象に残った。さらに撮り手は東京出身の移住者。聞けば出版社に勤める知人の同期なのだという。しかもその出版社は、マガジンハウス。長らく雑誌界をリードし、多くの流行、社会現象さえ生み出してきた巨人だ。

世代としてはバブルにちょっと乗り遅れたグループに入るとはいえ、入社以降の出版界は活況で、キラキラな人生を送ってきたと思える。そうして大都会の真ん中で確固たる居場所を築いてきた。

にも関わらず、いつしか伊豆・下田に居を移し、海人を撮っている。それは、なぜ?人生を転換させるきっかけは東日本大震災(2011年)にあった。

「あのとき、コンビニやスーパーどこに行っても商品棚は空っぽでしたよね。食料を得られない日が続いて、そんな経験はしたことがなかったから、なんて自分は無力なんだろうって。

お金を払えば買えるというシステムにすごく依存していたことに気付かされて、以降は少しでも自分で食料を作りたいと、東京からの移住を考えるようになりました」。

震災以前から携わっていた媒体には、地方の暮らしや人を紹介するウェブメディア「コロカル」があった。

各地に飛んでは土に足をしっかりつけて暮らす人を取材する中、徳島で出会ったお母さんは印象に強く残る人で、自分で裏山に入り採取した山菜を天ぷらにしたり、蕎麦の実はお蕎麦にしていた。「素敵な生き方だな」と、津留崎さんは感じ入った。

「自分の力を頼りに生きている人を見てきたから、震災のときには、どうして私はペットボトル1本の水も得られないんだろうと、情けない気持ちになりました。

私が取材で出会ってきたお母さんたちみたいに、生きる知恵や術を身に付けた素敵な人になりたいと思ったんです」。

社内での評価は高く、「ブルータス」「クロワッサン」「ハナコ」「アンアン」などの雑誌で連日撮影を行い、プロボクサー村田諒太のフォトブックも撮り下ろした。

送っていたのは十分以上に刺激のある日々。それでも津留崎さんは家族とともに、自分たちの暮らしを自分たちで丁寧に作りたいと、東京を離れた。
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ヒジキ漁に立ち会い生産者への敬意を抱く

写真家 津留崎 徹花さん●1974年、東京都生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、社員カメラマンとしてマガジンハウスへ。多くの雑誌や書籍の撮影に携わる。東日本大震災をきっかけに移住を考え始め2017年に伊豆・下田へ移り住む。現在は東京での撮影の仕事も行いながら、海のリズムとともに生活をしている。ウェブマガジンの「コロカル」では「暮らしを考える旅」を連載中。

写真家 津留崎 徹花さん●1974年、東京都生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、社員カメラマンとしてマガジンハウスへ。多くの雑誌や書籍の撮影に携わる。東日本大震災をきっかけに移住を考え始め2017年に伊豆・下田へ移り住む。現在は東京での撮影の仕事も行いながら、海のリズムとともに生活をしている。ウェブマガジンの「コロカル」では「暮らしを考える旅」を連載中。


根を下ろしたのは観光地として知られる伊豆・下田。移り住んで7年が経つ。6年前から米を作り始め、自宅の庭には四季折々の果実がなる。

だが移住先の候補としていたのは「ディープなところ」。昔ながらの文化伝統、風習が連綿と息づいているような場所だった。

「移住先として伊豆は避けていたんです。観光地というイメージが強く、もっと未知なる世界を求めていたので。でも実際には、それまで下田の奥深さに気付いていなかっただけでした。

下調べのため現地入りした際に一軒の不動産業者と出会ったのですが、その社長夫人が天草を採っていたんです。赤いレクサスを乗り回しているのに自ら海藻を採るというのが面白いと感じました。
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その後、海水浴に出かけたら、たまたま海人さんとも出会ったり」。

さらに直売所には多彩な野菜が並び、多くの生産者がいることに気が付いた。車を走らせると田畑が広がる昔ながらの農村風景を目にするなど下田の見え方が変わり、まもなく移り住むことを決めた。

さて、「海と、人と」展で飾られた作品の被写体は移住先・伊豆の海人たちである。

海人との出会いは移住以前、娘とのふたり旅で九州の天草諸島を訪れたことにある。宿泊先の旅館で食したヒジキがあまりに美味しく、女将さんから地元の漁師が目の前の海で採ったものだと聞くと、翌日の漁に急遽同行。

岩場にびっしりと生えたヒジキを漁師が豪快に鎌で刈っていく様子に、心が震えた。

「未知の世界に出会えたこと。自分には絶対にできないこと。

それに、ヒジキってパッケージに入って売られているというイメージでしたから、衝撃的でした。ヒジキという食の原点はここなのかと、改めて生産者の存在を意識したし、敬意を抱きました。

この人たちがいたから私は不自由なく食べられていたんだ。そういう思いが強く生まれました」。



もともと食への関心は高かったが、九州への旅を経て、海の幸の原点に対してさらなる関心を抱くことに。なかでも身ひとつで海と対峙する海人の魅力に引き込まれていった。

「やっぱり漁がものすごく危険なんです。例えばはんばのり。伊豆の特産品で冬にだけ採れるんですが、波の荒い岩場に良質なものが採れるので、気をつけていないと波にさらわれてしまいそうな場所にも入っていくんです。

海は凍てつく冷たさ。けれどものともせず岩場に向かい、波を被りながら漁をする姿は、本当にたくましくて、格好いいんです」。

写真は被写体の近くに行かないと撮れない。だから津留崎さんも夢中になって海人たちを追いかけることに。

機材の入った重いカメラバッグを背負い、獣道を通り、ロープを使って岸壁を下りた先の岩場が撮影地になったこともある。波飛沫がかかったことも、滑る岩に足を取られたことも、足や手を軽く切ったこともある。水中写真にも挑んだ。

かように撮影現場は凄まじい。凄まじいから誰もが真剣で、「良い写真が撮れる」のだと、津留崎さんは言う。

「撮影2年目に膝から腰くらいまで浸かって撮ったことがありました。でも防水のカメラ機材やウエットスーツがないから、それより先に行けなかったことが悔しくて。翌年は装備を準備して挑んだんです。

そうしたら海人さんたちが、『あんた本気やな』と言ってくれて。『いくらでも撮っていいから』って。すごくうれしかったですね」。
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