「SEAWARD TRIP」とは……▶︎
すべての写真を見る 生まれ育った東京を離れ、伊豆・下田に移住した写真家の津留崎 徹花さん。
移住先で撮り続けている“海人”を通して教わった、人生における気づきについて伺った。
商品棚が空の店内で自分の無力さを痛感
きっかけは旧知の雑誌編集者によるSNS投稿だった。内容は東京・代々木上原での写真展を知らせるもので、タイトルは「海と、人と」。写真家の津留崎徹花さんが撮り続けてきた海人の写真を飾るのだという。
でも、代々木上原で、海人? 東京を代表する高感度な街に相応しいとは言いがたいテーマだ。
海人とはその身ひとつで、海に潜り、ときに岩場へ足を運び、貝類や海藻を採る漁を生業とする人のこと。男性を海士、女性を海女と書くが、彼らは大海原を生活の場とする人たちで代々木上原とはリンクしづらい。
だがむしろ、そのギャップが印象に残った。さらに撮り手は東京出身の移住者。聞けば出版社に勤める知人の同期なのだという。しかもその出版社は、マガジンハウス。長らく雑誌界をリードし、多くの流行、社会現象さえ生み出してきた巨人だ。
世代としてはバブルにちょっと乗り遅れたグループに入るとはいえ、入社以降の出版界は活況で、キラキラな人生を送ってきたと思える。そうして大都会の真ん中で確固たる居場所を築いてきた。
にも関わらず、いつしか伊豆・下田に居を移し、海人を撮っている。それは、なぜ?人生を転換させるきっかけは東日本大震災(2011年)にあった。
「あのとき、コンビニやスーパーどこに行っても商品棚は空っぽでしたよね。食料を得られない日が続いて、そんな経験はしたことがなかったから、なんて自分は無力なんだろうって。
お金を払えば買えるというシステムにすごく依存していたことに気付かされて、以降は少しでも自分で食料を作りたいと、東京からの移住を考えるようになりました」。
震災以前から携わっていた媒体には、地方の暮らしや人を紹介するウェブメディア「コロカル」があった。
各地に飛んでは土に足をしっかりつけて暮らす人を取材する中、徳島で出会ったお母さんは印象に強く残る人で、自分で裏山に入り採取した山菜を天ぷらにしたり、蕎麦の実はお蕎麦にしていた。「素敵な生き方だな」と、津留崎さんは感じ入った。
「自分の力を頼りに生きている人を見てきたから、震災のときには、どうして私はペットボトル1本の水も得られないんだろうと、情けない気持ちになりました。
私が取材で出会ってきたお母さんたちみたいに、生きる知恵や術を身に付けた素敵な人になりたいと思ったんです」。
社内での評価は高く、「ブルータス」「クロワッサン」「ハナコ」「アンアン」などの雑誌で連日撮影を行い、プロボクサー村田諒太のフォトブックも撮り下ろした。
送っていたのは十分以上に刺激のある日々。それでも津留崎さんは家族とともに、自分たちの暮らしを自分たちで丁寧に作りたいと、東京を離れた。
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