当記事は「Dolive」の提供記事です。元記事はこちら。 人が過ごす空間には、その時々のライフスタイルや好きなカルチャーが表現されるもの。
今回は、プロスケーターとして活躍し、その後アパレルブランド『CHALLENGER』を立ち上げ、デザイナーとしても活動している田口悟さんにインタビュー。
自身の根底にあるというアメリカのストリートカルチャーを軸に、これまでのライフスタイルや理想の空間について伺いました。
田口悟さん(〈CHALLENGER〉デザイナー)
アパレルブランド〈CHALLENGER〉で洋服のデザインを手がける。自身のイラストを描いたスケートデッキやバンダナも根強い人気を博し、その原画を展示する”BANDANALYZE”を日本のみならず海外でも開催をしている。秋に地元での個展も開かれる。
スケートボードを通じて惹かれた、アメリカのストリートカルチャー
プロスケーターとして活動をし、その後ファッションシーンへと活躍のフィールドを広げてきた田口悟さん。そんな田口さんがストリートカルチャーに出会ったのは小学生の頃でした。
「僕が10歳くらいのときに、いわゆる第3次スケートボードブームが来て。周りの男子はみんなファミコンやケイドロと同じような感覚で遊ぶようになったんです。僕も母にねだって近所のホームセンターでおもちゃのスケートボードを買ってもらい、遊んでいました」
そんなとき、スケートボードに目覚めるきっかけが訪れます。
「近所に住んでいたお兄ちゃんが、1980年代に一世を風靡したスケーターのトミー・ゲレロのデッキに乗って坂を下りてきて『お前らが乗っているの、偽物だよ』って教えてくれたんです。試しにそのお兄ちゃんが乗っているデッキに乗せてもらったら、全然乗り心地が違った。すぐに“本物”のスケートボードを売っている店を教えてもらい、買いに行きました」
「負けず嫌いだから、誰よりも上手くなりたかった」という田口さん。そのお兄さんにスキルを教えてもらったり、トミー・ゲレロが登場する映画『The Search for Animal Chin』のビデオを何度も観たり。ひたすら研究を続けました。中学生にして近所の工事現場に出向いて職人さんから廃材をもらい、ミニランプを自作して、スキルの習得に励んだのだといいます。
「スケートボードって競技の側面もあるけれど、根本はカルチャーなんですよね。アーティストが描くグラフィック、ビデオで流れている音楽、スケートボーダーが着ていたファッション……そのどれもがカッコよくて、ストリートカルチャーに没入しながら真剣に遊んでいました」
アメリカ映画のビデオを観て、その真似をしていたという田口さん。ファッションやインテリアもアメリカンカルチャーにインスパイアされていたそう。高校時代の田口さんの部屋は、ハマっていた『スパイダーマン』をはじめアメコミのフィギュアで一杯の空間だったといいます。
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