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創業者はいつ、どのようにして海を渡ったのか

1955年に撮影された創業者、本永瀧蔵

1955年に撮影された創業者、本永瀧蔵


史実によれば、アイランドスリッパは本永瀧蔵(もとなが たきぞう)が1946年にオアフ島で創業した――ということなのだが、それまでの本永の足跡は残っていない。

ハワイ王国は1835年、サトウキビの商業生産に乗り出した。王国は労働力を確保すべくほどなく移民政策に着手する。移民は世界から集まったが、ハワイへの憧れはDNAに刻まれたものだったのか、1902年にはサトウキビ労働者のじつに70%を日本人移民が占めた。

創業間もなくの工場

創業間もなくの工場


1924年の排日移民法が成立するまでに22万人がハワイに渡ったという(戦中、敵国の移民は強制収用の対象になったが、ハワイの日本人移民はあまりに多く、収容をあきらめたというのはまた別の話)。

敗戦国となった日本の人々の国外移住が認められるのは1951年のサンフランシスコ講和条約で独立が許されてからだ。翌52年のブラジルを皮切りに、アメリカもふたたび門戸を開いた。

以上を整理すれば、ハワイへの移住は1924年から1951年にわたって事実上不可能だった。1946年にアイランドスリッパを創業しようと思えば、本永は戦前に移住した日本人移民の子孫と考えるのが妥当だろう。

ただし、戦後のどさくさに紛れて海を渡った可能性もなくはなく、だとすればドラマチックな物語が潜んでいるに違いないのだが、いまとなっては真相は藪の中である。



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