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2024.07.20

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日本人サーファーがハワイ・オアフ島の自然を“もとに戻す”活動を行う理由



「SEAWARD TRIP」とは……
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自然の生態系を、固有植物が茂るといったもともとの姿に戻す環境活動“レストレーション”。

ハワイ・オアフ島のダイヤモンドヘッドでこの活動を行う日本人サーファーがいる。
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なぜハワイでレストレーションを行うのか。いわゆる“環境保全”とはどう違うのか。詳しく伺った。

ひとりの日本人が始めたハワイの環境整備活動


あれ、こんなに視界が開けた場所だったかな?

眼前には色鮮やかな青い海が広がり、沖から入ってくるうねりが岸の近くでブレイクする様子や、その波にテイクオフしていくサーファーの姿が、とても鮮明に目に入ってくる。

足元には天然のグリーンカーペットが敷かれ、すぐ近くをサーフボードを持ったローカルサーファーが裸足で歩いていく。少し離れたところには、芝生に腰を下ろして会話に興じる2人組の女性の姿もあった。

たとえストレスを抱えていても、ここにいる間だけは忘れられる。久しぶりに立ち寄ったところは、そう思えるピースフルな雰囲気に満ちていた。

場所はクイレイクリフスビーチパーク。ワイキキからも近いハワイの象徴的なランドマーク、ダイヤモンドヘッドにある公園だ。

以前に訪れたのはコロナ禍の前。目的はサーフィンで、うっそうとした木々の中を崖下のビーチへ降りていった記憶がある。ワイキキのほうを見ると、前回は存在に気付かなかった灯台があった。

それは1917年に建てられたダイヤモンドヘッド灯台。安全な航行を守るため今も現役で稼働する、100年を超えてその場に鎮座する船の守り神だ。

見えなかったものが見えるほどに整備されている。ホノルル市が、ハワイ州が、人々に快適な空間と時間を提供するため行ったのかと思ったが、様子は違うらしい。

整備を始めたのはひとりのサーファー。しかも日本人だというから興味深い。

「最初は“いつもサーフィンする大切な場所だからきれいにしよう”というカジュアルな気持ちだったんです。2014年頃ですかね。海上がりにゴミを拾ったり、仲間たちとビーチクリーンをしたり。

日本にいたときも、よく行く千葉の鴨川などでビーチクリーンに参加していましたし。大きなことをしようというスタンスではありませんでした」。

きっかけはサーファーらしい姿勢にあったと話すのは久保田亮さん。クイレイクリフスビーチパークの整備を行った中心人物だ。

そこから環境活動に取り組んでいくことに。スケールが拡大した背景には他団体の環境活動への参加があった。

「15年ほど前にノースショアを拠点にするNPO団体ノースショア・コミュニティ・ランド・トラストの活動に参加したんです。彼らは地域の美しい景観の保護と復元を行っていて、昔の海岸線に見られた光景を取り戻すことをコンセプトとしています。

植物なら外来種を取り除いて固有種に植え替えるということをコツコツと行っているんですが、正直なところ、参加した当初は“これはさすがに無理でしょう”と思いました。こんなことをして意味があるのかな、と。

でも、半年に1回くらいのペースで参加していたら、どんどん景色が変わっていくのがわかったんです。ついには“ハワイの昔の海岸線には、このような植物が自生していたんだな”という深い感慨にも浸れて。

今ではアルバトロスが飛来して卵を産むほどに自然は復元されていますから。やればできるんだと、強い影響を受けました」。

自分の住まいはタウンのマノアにある。だからノースショアで見た活動をダイヤモンドヘッドでやってみよう。そう思うことで久保田さんの活動は進化していった。
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自然環境の復元活動がレストレーション

クイレイクリフス代表 久保田 亮さん●1978年、東京都生まれ。分子生物学や遺伝子工学を専攻し日本の大学で修士号を取得したのち、ハワイ大学の大学院で博士号を取得。在学中に植物病理学者や電子工学者と植物の病気を診断する遺伝子検査キットを開発して起業へ。一方、趣味のサーフィンをきっかけに環境問題に取り組みはじめ、2022年にクイレイクリフスを設立した。

クイレイクリフス代表 久保田 亮さん●1978年、東京都生まれ。分子生物学や遺伝子工学を専攻し日本の大学で修士号を取得したのち、ハワイ大学の大学院で博士号を取得。在学中に植物病理学者や電子工学者と植物の病気を診断する遺伝子検査キットを開発して起業へ。一方、趣味のサーフィンをきっかけに環境問題に取り組みはじめ、2022年にクイレイクリフスを設立した。


腰を据えて始めたアクションはひとりでのスタートだった。

「今はきれいに整備されたあとなので想像しにくいと思いますが、以前は雑木林のような場所だったんです。海は見えづらく、景観は美しいといえず、ヒッピーの住み処にもなっていました。

治安が問題視されるほどのひどい状況を生み出していた樹木の多くはキアベなどの外来種。もともとは1800年代に中南米から牧畜用に持ち込まれたものです。

すごくタフな木で、ハワイにある乾燥が厳しい環境下でも育ち、おかげで馬や牛が木陰で休めると昔は重宝されていました。雑草となってしまった草花もアフリカなどから家畜の食用に持ち込まれたもの。
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どちらも現在では用途が減り、かつ固有種を弱らせることにもなって、景観が昔のハワイとはだいぶ変わってしまったんですよね」。

手付かずで鬱然とした状況は山火事の要因にもなるという。

「昨年8月に発生したマウイ島ラハイナでの山火事も未整備状態の森林が発火場所でした。強い風が吹いていたことで広く報道されたような惨事になってしまいましたが、ダイヤモンドヘッドも夏になると山火事が発生しています。

不安に感じた住民が自治体に働きかけるものの、キアベなどの木を伐採するコストは高く、予算が割けず対策が難しいという反応が多くて……」。

つまり自治体による改善は特に見られない半面、外来種を除去し、ハワイ原産種のコウやミロの木、ハイビスカス、芝などを植える整備活動は山火事の抑止にもなっているのだ。

そして住みやすい地域づくりに貢献しながら目指すのは、古の時代に見られた光景の復元である。

「壊れてしまった自然の環境や生態系に人の手を入れて、再び健全な状況とする活動をレストレーションといいます。近年のアメリカではひとつのムーブメントになっていて、特にコロナ禍を経験したことで活動に拍車がかかりました。

人間活動が停止したら自然が美しく蘇ったという話を聞いたことがあると思いますが、ハワイもそう。僕らサーファーのフィールドである海は明らかに高い透明度を取り戻しました。

これまで人々は自然に優しくない活動を続けてきたけれど、活動内容を変えれば自然はもっと豊かな姿を見せてくれる。その治癒力はすごいのだなと、僕自身も実感したんです」。

パンデミック中も野外での活動が認められていたことから、久保田さんたちの活動を手伝う人は増えていった。しばらくするとビーチパークからわずかにカハラ側へいった「フェイズ1」と呼ぶエリアの整備が終了。

次の整備場所を探していたところ、ホノルル市からアプローチが届いた。「続けて整備をしてもらえるならば」と、ビーチパークを含む「フェイズ2」「フェイズ3」と呼ぶエリアを提案されたのだ。

市は参加者が怪我をしたり事故が起きた際のことを憂慮して整地された場所での活動を望んでいた。

そこで久保田さんたちは22年1月からビーチパーク周辺の整備を開始し、同年、活動に継続性を持たせるため非営利団体クイレイクリフスを発足。以降、ボランティアを募りながら毎週土曜日の午前中にレストレーションを行っている。

活動時には約20名のコアメンバーを中心に、いつも40名ほどが駆けつける。午前中に活動し、ランチタイムはみんなで楽しく過ごすフレンドリーな雰囲気もあってか、子供をつれたファミリーの姿が多くなった。

噂を聞いた日本人観光客が参加することもあるという。クイレイクリフスによる実直な活動の輪は、確実に広がりを見せているのだ。
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