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テラスに並べられた、圧巻の70’Sヴィンテージアロハたち




ハワイの爽やかな風が心地よい午後、ハワイ・オアフ島、ワイキキからほど近い緑豊かな地域にあるデールのアトリエに到着した。

目に飛び込んできたのはテラスに吊るされていたカラフルなアロハシャツたち、そしてアロハシャツの向こうから笑顔で迎えてくれたのがデール・ホープだ。

アロハシャツを装った凜とした姿が印象的なジェントルマン。これまでのストーリーについて質問を始めると、長くなるけれどと前置きしながら語ってくれた。



「父はニューヨークの衣料品業界で働いていた母と知り合い結婚し、ワイキキのコテージに住んでいた。ホノルルで成長しつつあった繊維産業に生地だけを販売していたが、その後衣料品にして販売をし始め、着実にビジネスを拡大させた。

大きな工場をマカロア通りに開き、近くのビルを借りて、レディス、メンズ、スイムウェアのプリントを施したリゾートウェアを作り始めたんだ。当時はベビーシッターもいなかったので、私は工場に行き、そこで遊びながら育ったようなものだよ」。
 「これは父が作ってくれたシャツで、小学3年生のときに学校に着て行ったのを覚えている。ワイキキのビーチボーイがマカハと呼んでいたロング丈のズボンを履いているんだ」。

「これは父が作ってくれたシャツで、小学3年生のときに学校に着て行ったのを覚えている。ワイキキのビーチボーイがマカハと呼んでいたロング丈のズボンを履いているんだ」。


「私が小学3年生の頃から、父が私のためにたくさんのシャツを作ってくれるようになって、それが私のアロハシャツ作りの原点になったと思う。

例えば、ワイキキの老舗ホテル、ロイヤルハワイアンのスタッフがロゴ入りのタンクトップと長いショートパンツを履いてヤシの葉で編んだココナッツハットをかぶり、ビーチで音楽を奏で、フラを踊った様子をデザインしてくれたシャツ。

そこにはハワイアンソングの名前『Sweet Samoan』『Aloha Oe、Beyond the Reef』『Lovely Hula Hands』と書いてあるんだよ。私のいちばんのお気に入りで、その後何度もリデザインして展開していて、ずっと大人気だったんだ」。


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