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2024.07.10

文化を生み出した初代「マーチ」が残した功績。クルマの世界をおもしろくしてくれた超新星だった

K10という型式で登場した初代マーチ。写真は1983年の3ドア G Collet(写真:日産自動車)

K10という型式で登場した初代マーチ。写真は1983年の3ドア G Collet(写真:日産自動車)


当記事は「東洋経済ONLINE」の提供記事です。元記事はこちら

1982年に日産自動車が送り出した初代「マーチ」。全長3785mmのボディに、1.0リッターエンジンを搭載した小さなクルマだが、フルモデルチェンジを迎える1992年までの間に残したものは、意外なほど大きい。クルマにおける「企画力のおもしろさ」を教えてくれたモデルだ。
20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。

「マッチのマーチ」のキャッチコピーで鮮烈デビュー

私はマーチがデビューしたときのことを、けっこう鮮烈に覚えている。なめらかな面にボディと段差のないプレスドア。太いリアクォーターピラーも欧州的なテイストで、印象的だったからだ。

当時としては太めのピラーが後ろ姿を印象付けていた(写真:日産自動車)

当時としては太めのピラーが後ろ姿を印象付けていた(写真:日産自動車)


特にリアからの眺めが、すっきりしたボディ面を際立たせていて、「日本車もずいぶん垢抜けたなぁ」と、いたく感心したものだ。現在、いろいろなところで指摘されているけれど、フィアットの「ウーノ]」(1983年)に似ていたのも印象的だった。

一部の資料には、マーチの基本デザインは「ウーノを手がけたイタリアのイタルデザインによるもの」とされている。しかし、イタルデザイン監修の作品集には、マーチへの言及はない。ウーノのプレスドアは「いすゞ・ピアッツァで最初試したもの」とはあるけれど。

フィアット・ウーノにはマーチと共通するデザインテイストが見受けられる(写真:Stellantis)

フィアット・ウーノにはマーチと共通するデザインテイストが見受けられる(写真:Stellantis)


マーチの2300mmのホイールベースも、全長3785mmのハッチバックボディも、衝突安全基準などで車体の大型化が進む今の眼にはだいぶコンパクトに映る。けれど、当時はこのぐらいのサイズが基本だったので、発表時は別段、「小さいなぁ」などとは思わなかった。

マーチは、乗用も商用も広くカバーするマーケティングだったはずで、特に乗用車としては当時、大きかった若者マーケット向けに「マッチのマーチ」なるキャッチコピーを採用。

マッチ(近藤真彦)を起用した鮮烈で、シンプルだがメッセージ性の強いコピーが人口に膾炙(かいしゃ)したものだ。今でも、「マッチのマーチ」と覚えている人がけっこういる。

初代マーチの特徴は、広範囲におよぶマーケティングコンセプトにある。派生車種が多いのだ。標準モデルはやや頼りない感じのハンドリングだったが、パワーが上がると同時にシャキっとした足まわりで楽しかった「マーチターボ」が1985年に登場。

MA10ET型エンジンを搭載したマーチターボ(写真:日産自動車)

MA10ET型エンジンを搭載したマーチターボ(写真:日産自動車)


モータースポーツにも積極的に投入され、ベースになる「マーチR」が1988年に発売された。中でも話題を呼んだのは、スーパーチャージャーとターボチャージャーの、いわゆるツインチャージャータイプの930ccエンジンだ。

このツインチャージドエンジンは、1990年に発売されたマーチ「スーパーターボ」にも搭載される。このころ、マーチは世界ラリー選手権(WRC)にも投入されるなど、モータースポーツでの活躍ぶりも印象的だった。

1989年のサファリラリーに参戦したマーチ(写真:日産自動車)

1989年のサファリラリーに参戦したマーチ(写真:日産自動車)


「久米豊社長(在任1985ー1992年)の時代に、モータースポーツで勝てばクルマが売れると活動に力を入れるようになって、たとえば全日本ラリー選手権における1.0リッター以下のAクラスと1.6リッター以下のBクラスというカテゴリー(いずれも当時)のためにマーチを使いました」

当時、日産自動車の広報部に籍を置いていた関係者は、そう証言している。


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