▶︎すべての写真を見る 故ヴァージル・アブローがマスターピースをリビルディングしたデザインプロジェクト「The Ten(ザ・テン)」。文字どおり10のモデルをフィーチャーしたプロジェクトで、サザビーズに出品されたコンプリートセットの落札予想価格は3万ドルとも4万ドルともいわれた。
アブローは「The Ten」をかたちにするにあたり、“REVEALING(リビーリング)”と“GHOSTING(ゴースティング)”というふたつのテーマを掲げた。デザインアプローチこそ異なるが、ナイキの優れたコンストラクションをつまびらかにするという点で両テーマは一致している。
「エア マックス 90 ドリフト」2万130円/ナイキ スポーツウェア(NIKE カスタマーサービス 0120-6453-77)
“REVEALING”の一足としてラインナップされたのが「エア マックス 90」だった。シューレースに印字した“SHOELACES”やそのシューレースにくくりつけたオレンジのタブといった遊び心あるあしらいもさることながら、見逃せないのはナイフで切り裂いたかのような、内部構造があらわになったデザインだった。
「エア マックス」はビジブルエアを搭載した初めてのモデルであり、むき出しのデザインからはオリジンへのオマージュがひしひしと感じられた。
航空宇宙学から生まれたアイデア
ナイキはこれまでに35億を超えるAirユニットを生み出してきた。その本丸となるのがビーバートンの本社のほど近くにあるNike AIR Manufacturing Innovation building――通称AIRMIだ。そのビルには1300人のスタッフが詰め、24時間態勢でAirユニットを製造しているという。
その礎をつくったのはふたりの男だった。ひとりがマリオン・フランクリン・ルーディで、もうひとりがティンカー・ハットフィールドだ。
ルーディは航空宇宙エンジニアとしてキャリアを積んだ。そのキャリアの中で育まれたアイデアが、衝撃吸収の役割を空気に担わせるというものだった。ルーディはこのアイデアを23の会社に売り込んだがことごとく断られた。24人目が、フィル・ナイトだった。
ナイトは試作品を履き、オフィスの周りを走った。試走から帰ったナイトは頬を上気させていた。なぜならばかつて味わったことのないスムーズなライド感があったからだ。そうして1978年に誕生したランニングシューズが「テイルウィンド」だった。
ナイキはホノルルマラソンのタイミングでハワイのランニングストア6店舗に250足を投入した。50ドルという当時にしてみれば高価な値付けだったにもかかわらず、「テイルウィンド」は丸一日もたずに売り切れた。
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