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井植美奈子(以下、井植) 小橋さんが仕掛けるイベントは、規模が大きくて楽しいものばかり。得られる感動も大きく、すごいエンタテインメントだなと思っていつも拝見しています。

小橋賢児(以下、小橋) ありがとうございます。僕が思うエンタテインメントっていうのはエンター、つまり入口であって、逆にいうとそれだけ。何かにエンターするきっかけをハプニング的に作るのが、僕ができる仕事だと思って続けています。

例えば、ストレスフルな現代社会では、本当の自分を生きることができていない人がいます。そういう人が、イベント会場に来て感動して、何か気付きを得ることができれば、その先に忘れていた本来の自分に出会えたり、閉ざしていた感情が湧いてきたりする。そして、自分らしく生きていく道が開けるかもしれない。



人間って、人の間って書くように、人と人の間でどう生きるかだと思うんです。つまり、独りよがりで何かをすることではなくて、自分は生かされているということ。もっといえば、この大自然の、宇宙の一部であることを知るんです。忙しいとか、お金がないとか言い訳しながら盲目的に生きるのは、自然と切り離されている状態だと思います。生きるというのは、目の前で起きている現実にありがとうって言えることだから。

井植 小橋さんの手掛けるイベントが、一大エンタテインメントになっているのは、そこに反映されるメッセージがとても強くてストレートだからだと思います。

小橋 どうやったら大きなイベントを企画できるの?と、よく聞かれるのですが、僕は大きい舞台がやりたいなんて思ったことは一度もなくて、気が付いたらそうなっているんです。イベンターになりたいと思ったこともありませんでした。



井植 イベンターを始めるきっかけはあったんですか?

小橋 俳優業を27歳で休業して、しばらく海外を回りました。帰国後はお金も仕事もなくて、ストレスで肝機能障害になってしまい生死を彷徨うくらい苦しい思いをしましたね。ゼロからやり直したいと思って知人のトレーナーに相談したのですが、「かなり重症だからしばらく自然の環境に身を置いたほうがいい」とアドバイスをもらい、茅ヶ崎に引っ越したのです。

四畳半ほどの安い部屋を借りて、大学生やライフセービングの人たちと一緒に海を泳いだり、トレイルランをしたりトレーニングを続けました。相変わらず人生どん底でしたが、30歳まで残り3カ月くらいのタイミングで自然と体と心が回復してきたんです。それで自分の誕生日にお世話になった人たちに感謝するおもてなしの会をしようと思い立ったんです。それが今につながるきっかけです。

井植 そんな時期があったとは。そのお誕生会はどこでやったのですか。



小橋 その頃、たまたま先輩がお台場のホテルのプールでイベントをやっていて、そこを貸してもらいました。何も考えずに気軽に頼んじゃって、蓋を開けたらとんでもない金額の見積書がやってきて……(笑)。

イベントがどうやって作られるか、本当に知らなかったんですよ。でもやるしかないと思って。来てくれる人には、入場料をいただくけど、それだけの値打ちのあるイベントにしますからと伝えました。見よう見まねでロゴを作り、コンセプトも考え、映像も制作して、浅草のかっぱ橋道具街で装飾を買って、なんとか自力で作り上げました。 



井植 今の小橋さんからは想像もつかないストーリーですね。
 
小橋 そのときに自分の中で決めていた目標がふたつあって。ひとつはお世話になった人をおもてなしすること、もうひとつは自分の体を治すこと。当時、水泳の北島康介選手が注目されていて、彼みたいになるぞと決めました。結果、北島選手とはいかないまでも、自分の人生で一番いい体になれましたし、イベントを作ったことがきっかけで仲間ができてノウハウも得られました。



井植 そのまま現在にいたると。

小橋 はい。本当にそのまま今にいたった感じです。自分の人生は、自分自身で作るしかない。目の前のことに集中することで、いつでも変わっていくチャンスは見つかります。そのチャンスのきっかけは、教育でもいいし、街づくりでもいいし、何かのプロダクトでもいい。僕の場合はそれがたまたまイベントだったでした。

井植 きっと、小橋さんに影響を受けた人はたくさんいるでしょうね。

小橋 僕のイベントをきっかけに海外に出て活躍している人や、クリエイターになったと言ってくれる人もたくさんいて、ありがたいです。


自分はこの大自然の、宇宙の一部であることを知る。海を、自然を守ることは、小橋さんにとってはごく当たり前のことだった。

笹井タカマサ=写真 合六美和=取材・文

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