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小橋 あのとき、気仙沼では考えなければいけないことがたくさんあって、防潮堤の問題がそのひとつでした。防潮堤を作るのは、海のことを思えば反対。だからといって闇雲に反対運動をしても、行政をはじめとするさまざまな仕組みがある中での議論となるので、簡単には解決しない。

そこで僕に何かできることがあるとしたら、もっとみんなに海を好きになってもらうことなのかなと。たくさんの人に現地に来て楽しんでもらい、海を好きになってもらえる活動をしていました。 



井植 「美しい海岸を楽しむ会」というような名前でやっていましたよね。海辺でバーベキューをするなど、参加者全員で楽しく過ごしながら問いかけたのは「もしここに防潮堤が立ったら、こういう楽しみ方はできなくなるよ」ということでした。

小橋 外の人間が反対!とただ叫ぶのではなくて、自分たちがそれぞれどう思うのか、一緒に考えてみる場を創出したかったんです。



井植 防潮堤を立ててしまうと波が見えなくなって危険の察知が遅れるのではないか、例えば直線道路を整備するなどの他の解決法を見出せないかなど、科学的な検証を踏まえながら、本当にいろんな意見が交わされましたよね。防波堤を立てることもひとつの選択肢だったとは思いますが。

当時、世界の最先端の研究から学ぼうということで、私はサンフランシスコ付近のスクリプス研究所という、世界的権威のある海洋研究の研究所にディビッド・ロックフェラーさんに連れて行ってもらい、防潮堤についての世界のいろんな事例を勉強しました。



小橋 当時、井植さんは既に海洋環境保護のNGOを立ち上げていたんですか?

井植 はい。設立は震災のすぐ後、2011年10月でしたので。

小橋 なるほど、すごいタイミングでしたね。日本は海に囲まれていながら、震災が起きるまでは海の汚染についてあまり考えてなかったと思うんです。福島の原発事故があって、急に考え始めた気がします。これから先、我々は持続可能な魚が食べられるのだろうかと。

福島の海では、一年中サーフィンのいい波が立つんですよ。日本でいちばんだと思っています。僕の両親はどちらも福島県出身なので、現地には知り合いもたくさんいますし、小さい頃から遊んでいた海に入れなくなるのは、とても複雑な気持ちです。

井植 震災後、福島は禁漁になった時期がありましたね。その5年ほどの間に、ものすごく魚が増えたんです。地球の歴史からしたらほんのわずかな時間で、資源が回復することが証明された。自然の力のすごさを目の当たりにした思いです。

フィッシャーマン・ジャパン 公式サイトより/https://fishermanjapan.com/

フィッシャーマン・ジャパン 公式サイトより/https://fishermanjapan.com/


小橋 魚の持続可能性を考えるとそうですよね。ただ一方で、禁漁期間下では、漁師さんたちは非常に苦しい思いをしていました。そんななか、地元の若者たちが若い人が「フィッシャーマン・ジャパン」という一般社団法人を立ち上げたんです。

彼らが掲げるのは、漁業で昔から言われる「3K(きつい・危険・汚い)」を印象を「カッコいい、稼げる、革新的」というポジティブな「新3K」に上書きするという理念です。水産業をとにかく楽しく盛り上げようと活動されています。

井植 格好良い取り組みですよね。フィッシャーマン・ジャパンはどちらが拠点でしたっけ。

小橋 彼らが当初拠点にしていたのは、震災発生から3カ月ほど経っても1日2個のおにぎりしか配給されてなかったようなエリアでした。僕が物資が足りてないところはないかと声をかけて回っていたときに、フィッシャーマン・ジャパンの代表理事である阿部勝太さんと知り合ったんです。こういう出会いもあるんだなと。

井植 話を伺っていると、さまざまな人と海でつながっていますね。海は人類共通のもので、みんなと共感できる部分が多くある。だからこそ、真剣に海の環境を考えていかないといけないですよね。

 ◇

震災後の気仙沼で直面した、防波堤の問題。小橋さんは海を「まもる」ために、みんなと対話することを選択した。もちろん、楽しく考えるということを忘れずに。

笹井タカマサ=写真 合六美和=取材・文

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