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幼少期から僧侶として生きてきた

ネパール生まれのロサンさん。チベットの動乱期に西チベットから両親がネパールに亡命したため、実は故郷チベットの地を踏んだことはない。

チベットの人々といえば、敬虔な仏教徒のイメージが強い。というのも、義務教育というシステムがなかった彼らが勉強するところといえばお寺だった。

“徳を積む”という信仰心や経済事情も相まって、かつてはどこの家庭でも1〜2人の子供を僧侶にするため、全寮制のお寺に入れるのが通例であった。

幼少期のロサンさん。

幼少期のロサンさん。


「3歳から8歳くらいまではネパールの首都・カトマンドゥにあるお寺で過ごし、それから南インドにある、デプン・ゴマン学堂という大きな僧院に移った。そこでは、仏教のことを学びながら英語も少し習ったね。

デプン・ゴマン学堂は、2000人くらいのお坊さんが共同生活しているチベット仏教で重要なところ」(ロサンさん、以下同)。



南インドの僧院では勉強はもちろんだが、お寺の運営と暮らしのすべてが僧侶で賄われているため、仕事も分担して行われる。

「お寺の仕事はいろいろあるけど、当番制で厨房の仕事もよくやった。2000人分の食事を用意をするからすごい量で大変だったけど、その頃から料理をするのは好きだったんだ。

お寺の決まりごとは厳しかったけど、仲間もたくさんいて楽しかった。僧侶には階級があるんだけど、過ごすうちに段々ランクが上がっていく。最後の方は、(僧院の)事務所のアドミニストレーション(経営管理)とか秘書をやったりしていたね」。

そんな頃、僧院からアメリカへ行くよう命じられた。海外、特に欧米には、チベット仏教のセンターが点在している。ロサンさんのように各国に派遣され、その地域で布教活動をする人も少なくないらしい。

とはいえ、アメリカの入国審査は当時から難しかったようだ。

南インドの僧院にいた頃のロサンさん。

南インドの僧院にいた頃のロサンさん。


「渡航の準備をしたけど、なかなかビザが下りなかった。そういう書類の関係もあって、2003年に一度日本に行くことにしたんだ。広島にもデプン・ゴマン学堂日本別院があるからね。アメリカはダメなのに、日本はなぜか簡単に来れちゃった。

日本に来てからもアメリカのビザを申請したけど、やっぱりダメで。結局、インドに帰ってから、また日本に戻ってきた」。

インドに一時帰国した際、ロサンさんは袈裟を脱いだ。物心つく前に僧侶になることが多いチベットの人は、何かのきっかけで還俗するケースも珍しくないのだという。

再び日本に戻ったのち、仏教美術を学んでいた奈津子さんと出会って2009年に結婚した。


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