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日本人がどのように魔法をかけるのか、できるだけ多くのことを吸収するために、今回の来日でもアンブローズは日本のファッション界の火付け役、著名な編集者、トレンドセッターたちを訪ね歩いた。

その中には、ヴェルディ(Girls Don't Cry)、藤原ヒロシ(fragment design)、ユン(Ambush)、そしてアンブローズのインスピレーションでもある阿部千登勢(Sacai)、その他大勢のインフルエンサーがいた。

ファレルも驚いた日本のヒップホップファッション

多くの日本のデザイナーは、インスピレーションを得るためにアメリカに目を向けた。これらのデザイナーはまた、ヒップホップスタイルの要素をデザインに取り入れてきた。この傾向は、ヒップホップが日本で人気を博し始めた頃からあったと、日本にヒップホップ文化を浸透させた1人でもある、スチャダラパーのメンバーでラッパーのボーズは話す。

「最初の頃は、MTVやアルバムのジャケットでラッパーが着ているような服は東京では売られていませんでした」とボーズはいう。

「ポロ・ラルフローレンのようなブランド品も、アメリカのヒップホップアーティストが着ているようなオーバーサイズや大きなロゴのものはありませんでした。1992年にぼくが初めてニューヨークに行った時は、そういう日本で売られていない服や靴を買って回りました。(A BATHING APEを立ち上げた)Nigoや他の友人たちもぼくと同じように、ニューヨークでナイキやティンバーランドを買い回って、彼らの場合は持ち帰って東京で販売したんです」。

何人かの友人たちは、アメリカのヒップホップウェアやデザインを真剣に研究していたという。

「Nigoたちはヒップホップファッションの”オタク”というか”研究者”でした。その知識によってヒップホップファッションを分解して、日本特有の素材と技術を使って再構築したんです。そしてA BATHING APEをはじめとする、自分たちのブランドを作りました。

だから、東京から発信されるヒップホップファッションが持つ、日本製の丁寧なクオリティと意識的・無意識的なアップグレードを目にした時、逆にニューヨークのデザイナーたちは驚きました。そうやってファレルやJay-Zが日本のデザイナーたちに『どうやってやったんだ?』と尋ねるような状況が生まれ、東京とニューヨークの人々が交流を始め、関係を築いていったのです」


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