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2024.05.29

ファッション

「ニューバランスは1000足以上履いてきた」ミタスニーカーズ国井栄之さんが語るスニーカー愛



連載「My NewBalance, My Life」とは……

東京・上野に店を構えるスニーカーショップ「ミタスニーカーズ」。

クリエイティブ・ディレクターを務める国井栄之さんは、ニューバランス歴約30年で、これまでに1000足以上のモデルを履き、数多くのコラボモデルもデザインしてきた。

そんな彼にお気に入りのモデルについて語ってもらった。

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話を聞いたのは…
国井栄之●1976年生まれ、東京出身。1996年より東京・上野のスニーカーショップ「ミタスニーカーズ」でショップスタッフとして働き始め、現在はクリエイティブ・ディレクターとしてブランドとのコラボレーションモデルや別注モデルのデザインを手掛ける。

国井栄之●1976年生まれ、東京出身。1996年より東京・上野のスニーカーショップ「ミタスニーカーズ」でショップスタッフとして働き始め、現在はクリエイティブ・ディレクターとしてブランドとのコラボレーションモデルや別注モデルのデザインを手掛ける。

始まりはナイキの「コルテッツ」



ーーまずは国井さんとスニーカーの出合いからお伺いできればと思います。

国井 僕が小学生の頃、『イーティー(E.T.)』や『グーニーズ(The Goonies)』など、ワーナー・ブラザース製作のSF映画でサブリミナル的にスニーカーが映っていたんです。

それで、小学4、5年生のときにリーバイスのデニムとともに、ナイキの「コルテッツ」も親に買ってもらったのが最初です。映画をはじめ、ヒップホップやスケートボードなどのストリートカルチャーの住人から、断片的に影響を受けてきました。

ーーニューバランスとの出合いはいつ頃なのでしょうか?

国井 もちろんブランドとしては知っていましたが、きちんと履き始めたのは1996年にミタスニーカーズに入社してからですね。

'97年頃イギリスのJDスポーツやオフスプリングがSMUで出した、発色の良いスエードのメイド・イン・UKの「576」をミタスニーカーズがインポートで販売していて、ミタの関係者周りで履くようになったんですよ。同時期、'96年にオリジナルが発売された「580」がワゴンセールにかかっていて、さらに身内流行りの輪が広がっていった感じですかね。

※Special Make Upの略。



アメカジに対しての「1300」や「576」ではなく、機能的なアウトドアブランドのウェアを取り込みながら、トレイルランニングモデルを足元に持ってくることが多かったんです。時を同じくしてニューヨークのSOHOエリアでも同じ流れがありました。


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