「存在証明の喪失、匿名性の果て」が抱える普遍性
──舞台挨拶で「時代性を帯びたテーマを扱っている」というお話をされていました。原作が1973年を舞台にしながら、時世と一致させるために、どのような工夫をされたのでしょうか? 石井:今の時代は一人一人が匿名性という檻、あるいは「自分が正しい」という幻想の世界に閉じこもっている時代だと認識しています。本当は「多様性」を受け入れていて、他者と共生しないといけない時代が訪れているにもかかわらず、むしろ分断が進んでしまった。
安部公房さんは他者を匿名から攻撃する時代が来ることを予見していたように、この問題は今始まったことではなくて。安部公房さんは「箱男」という作品を通じて、「存在証明の喪失」を描こうとしたと思います。あるいは「匿名性の果て」を考えておられたのではないか。それは時代そのものを超えて、僕ら都市で脳化した社会に生きる人間が陥っている病を描いてる。
1973年に発売された小説なんですけど、だからこそ今でも通用する普遍性を持っているのです。言うなれば、これからも通用する。なので日本という枠組みにとらわれずに、デフォルメした世界を表現しようとしました。
石井岳龍監督
──監視社会、情報社会を予見したなかで「ノート」といういわばアナログな方法論によって「わたし」が乗っ取られる。あるいは解放されていく様が印象的でした。手書きの手記によってアイデンティティを記すことは時代に抵抗する手段になりうると思いますか? 石井:そうですね。スマホで文字を打つという方が今の時代として、よりリアルなんでしょうけど。あえて今回映画の中ではスマホは映し出さないようにしていて。「箱男」がシンボリックにスマホの世界みたいなものなので。俳優さんにそれぞれ書いていただいた文字を使用しています。
永瀬:僕の手記のところは、僕自身が書いてます。
──永瀬さんもプロとして写真撮影をすることで有名ですが、役作りする上で役立ったことはありますか? 永瀬:今回に関しては、僕も普段写真を撮影していることで「わたし」が元々カメラマンだったというところのリアルさが出てるかもしれません。マイナスからキャラクターを構築する必要がなくて済んだということですね。そして今もインタビュー中の様子を撮っていただいてますけど。撮る側の心情というのも、十分に理解できますから。箱の外にいた男が箱の中に入っていくという点に、理解できる部分は大きかったです。
俳優でカメラマンとしても活躍する、永瀬正敏
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