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1冊の本と出会い、水中考古学者の道へ

水中考古学者 山舩晃太郎さん● 1984年、秋田県生まれ。法政大学卒業後、 水中考古学の最高峰である テキサスA&M大学大学院に進学し 文化人類学科船舶考古学の博士号を取得。 専門は、西洋船を主な研究対象とする 考古学と歴史学に加え、水中文化遺産の 三次元測量と沈没船の復元構築。 著書に爽やかな冒険エッセイ『沈没船博士、 海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)がある。

水中考古学者 山舩晃太郎さん●1984年、秋田県生まれ。法政大学卒業後、水中考古学の最高峰であるテキサスA&M大学大学院に進学し文化人類学科船舶考古学の博士号を取得。専門は、西洋船を主な研究対象とする考古学と歴史学に加え、水中文化遺産の三次元測量と沈没船の復元構築。著書に爽やかな冒険エッセイ『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)がある。


考古学の中で水中に特化した水中考古学は、山舩さんも「非常にニッチ」だと認める学問。それでもその道を志した背景には1冊の本があった。米国人ジャーナリストで写真家のロバート・F・バージェスが記した『海底の1万2000年—水中考古学物語』である。

法政大学時代、卒論のテーマを探そうと図書館通いをする中で出会った本であり、フロリダにある鉱泉から1万年前の人の頭蓋骨と脳が発見されたレポートをはじめ、「そんなことがあるのか?」という内容の数々に衝撃を受けた。

読後、ひと目惚れのような衝動に駆られ、「この仕事をしてみたい」という思いを抱いた。いわば成人男性のマインドセット。それが1冊の本によって引き起こされた背景には小さくない挫折があった。少年時代からの夢が敗れた状況にあったのだ。

その夢とはプロ野球選手。小学3年生からピッチャーとして活躍してきた山舩さんは、東京六大学野球の晴れ舞台で活躍できる直前まで歩みを進めていた。

しかし日々の練習と真摯に向き合い1年に数kmの球速アップをかなえる野球生活の中で、自身より時速15kmも20kmも速い球を投げ続ける後輩が入学。「卒業まで努力を続けても彼のレベルには届かない」ことを実感させられたのだ。

それでも奮起してプロの夢を掴もうと試みた。だが逆に身体へ負担をかけることになり肩と肘を故障。「社会人野球も難しい」と絶望した。

そして卒業の時はやってくる。「教師として歴史と野球を教える人生かな、と思っていました。歴史は以前から好きだったんです。大学は文学部史学科。西洋古代史のゼミに在籍するほどでしたから」。

歴史好きになったのは読者家の父がきっかけだ。自宅には歴史を題材とする書物が多くあり、司馬遼太郎や池波正太郎の作品を皮切りに、古生物の図鑑なども手にした。読書は片道1時間ほどかかる通学時間を利用して。毎日歴史物語に目を通した。

他方、『グラン・ブルー』のような美しい海が舞台の映画を好み、波の音を聞くと癒やされる海好きでもあった。こうした野球の陰に隠れていた個性はしだいに存在感を増し、かつ「大失恋の直後で空虚だった」ことから、運命的な出会いを見逃さずに受け止めることができた。


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