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ふたつ目の転機があって世界の海へ羽ばたけた

ひと目惚れとはいえ新しく出会った“彼女”は個性的で気難しそうだ。事実、進路を決めてから水中考古学者としてデビューするまでには10年の時間を要した。

まずは大学卒業後、22歳でテキサスへ単身渡米。水中考古学の父と呼ばれるジョージ・バス博士(21年逝去)が設立したプログラムを学ぼうと、テキサスA&M大学大学院の入学を目指したからだ。

とはいえ授業を受けられるほどの英語力がないため最初の3年間は語学学校に通い、続く博士課程で3年、修士課程で4年を費やした。

数多のプロ野球選手を輩出する法政大学にしろ、水中考古学の権威であるテキサスA&M大学大学院にしろ、その世界のトップを志した姿には山舩さんの人となりが表れる。加えて「授業を聞いてもわからないので、許可を得て75分の講義を録音し15時間かけて訳していた」というエピソードには相当の粘り強さが感じられる。

10年を愚直に過ごしたのだ。だから夢はかなった。本人は「若かったし、当時は情報が少なく、山の頂の高さを知らなかったからできたんです」と笑うものの、その突破力は名門大学の扉を開くまで研鑽を積んだ野球人生があってこそ身に付いていたものだといえる。

しかし苦労して大学院を卒業しながらも、もうひとつの転機がなければ、現在のように水中考古学者として生きることは難しかった。それは山舩流のフォトグラメトリ活用法を見いだしたことだ。

フォトグラメトリとは海中で撮影した画像をもとに発掘現場の3Dデータを制作するデジタル技術である。技術自体は以前よりあったが、山舩流が画期的だったのは、データに対して水中考古学者としての視点や知見を重ね、研究の大いなる進展を可能としたことにある。というのもそれまでは水中遺跡を画面上で眺めるだけのものだったのだ。

山舩流誕生のきっかけは、大学院時代に助手として参加したクロアチアでの発掘プロジェクトで、リーダーである教授にフォトグラメトリによる沈没船の3Dモデル作成を依頼されたことにある。

このとき研究に使えるデータを作成して賛辞を獲得。さらにプロジェクト参加後に開かれた国際学会で「フォトグラメトリによる新しい沈没船復元再構築法」を発表。高名な研究家たちから拍手喝采を浴びることになった。

すると瞬く間に世界の研究機関から共同発掘や研究の依頼が届くように。「世界の海を飛び回り水中考古学者として生きていける」との思いを強めた瞬間だった。


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