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消費するだけの都市にいていいのか。東日本大震災がきっかけに

複数の場所それぞれでなりわいをしながら、そこを生活の場にもするライフスタイル「ダブルローカル」。この言葉を生み出したのはデザインユニット〈gift_〉の後藤寿和さんと池田史子さんで、10年以上も前から東京・清澄白河と新潟県十日町で実践しています。

元々東京でデザインユニットとして活動していた二人は、縁が繋がって、越後妻有大地の芸術祭で知られる新潟県十日町市松代にカフェ&ドミトリー〈山ノ家〉を2012年に開きますが、「ダブルローカル」の礎となる原体験は、2003~2010年に馬喰町や東日本橋、浅草橋などの東京の東エリアで開催されていたアート・デザイン・建築の複合イベント「Central East Tokyo(CET)」。

当時、空き物件が増え空洞化していたこのエリアにアーティストやクリエイターが入り込み、空きビルや空き家で制作や展示などを行い、大きなムーブメントを巻き起こした伝説的なイベントと言われています。その「CET」にディレクターとして参画し、街が自然発生的に変わっていく様子を目の当たりにしたことが、二人の生き方の基盤に。

「クリエイティブの種を蒔くことで、街本来の魅力を損なうことなく、新しいレイヤーが重なって街の顔つきが変わっていく。アーティストやクリエイターたちのエネルギーを浴びて都市が更新されていく様子に勇気をもらったし、そんなムーブメントに関与できることがすごく面白くて」(池田さん)

東京・恵比寿時代の〈gift_〉のオフィス

東京・恵比寿時代の〈gift_〉のオフィス


こうして東京のローカルの魅力に開眼するも、当時二人がオフィスを構えていたのは東京・恵比寿。

所蔵書を解放したり、音楽イベントを行ったりと、人々が自然と集まってくるような小さな文化交流拠点のようなオープンな空間でした。時代の先端を行くような、いわゆる都市生活を続けていた2011年に、あの東日本大震災が起こります。

「働き方や生き方の根幹が揺らいだ人はすごく多かったと思います。僕たちもここでしか仕事はできないと思っていたけど、同じように考えていた人たちが地方に進出したりして。これまでの価値観自体がひっくり返されたというか。このまま消費するだけの都市にいていいのかなって、自分の根幹の部分が揺らぎました」(後藤さん)




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