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自由なアートスタイルは、サーフィンが導いてくれたのかもしれない

サーフィンをテーマに描いた作品たち。

サーフィンをテーマに描いた作品たち。


「結局、グラフィックデザインを学ぶことにしたから、大学卒業まで6年かかった。2000年から2003年まで、周りはグラフィックデザインの道に進みたいと思っている人たちばかりで、自分だけすごく遅れているような気がしていたんだ。

でもそのうち、デヴィッド・カーソンというアーティストのことを知った。サーフィンの世界ではとても有名なグラフィックデザイナーなんだけれど、彼のスタイルは本当に自由なんだ。それを見て、『わぁ、こんなことができるんだ』と目を見開かされたのを覚えている」。



「僕はサーフィンをして育ち、サーフィンが大好きで、そのおかげでサーフィンの可能性に気づいたのを覚えていたから。そしてグラフィックデザインとサーフィンには共通な自由さがあると気づいたんだ。

最終的には、デヴィッドがディレクターをしていたカルフォルニア発の雑誌『サーフィン・マガジン』のアートディレクターとして働くことになったんだけれど、これは夢が叶って本当に嬉しかった。


アートディレクターとして学んだこと

古い足踏みミシンの脚を活用したデスクがノアのワークコーナー。

ノアのワークコーナー。


「大学を卒業して、最初はデザインとは関係ないモバイルなどを扱う会社に就職したんだけれど、やりがいはあった。ただ、結果的に自分のやりたいデザインへの欲求を高めるために、個人的な仕事をたくさんすることになり、家に帰ると、頼まれもしないのにバンドのポスターのような個人的な仕事をしていた。

それが、自分のためのアートワークや自分のためのデザインワークをするようになったきっかけかな。“Behance”というウェブサイトがあるんだけれど、当時、そのサイトで紹介してもらえればアーティストとしてのキャリアを後押ししてくれるというところから、いくつかのプロジェクトを受注することになった」。



「そして『サーフィン・マガジン』の仕事に繋がったんだ。そこでは、かなりの量のイラストレーションが必要になったし、結果、現在の形に押し上げられたんだ。テクスチャーの多くは、サーフグラフィックが“グランジ”の美学に関係している。

デジタルになりすぎないように、テクスチャーを多用し、雑然として、複雑さを受け入れ、それをスクリーンに映し出すことが求められた。デジタルになりすぎないようにするためだ。平坦でデジタルな感じがしないように、グランジな要素を取り入れるように心がけているんだ」。


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