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シェアをすることで日本の社会をより良くしたい



竹沢が運営するリョウザンパークはオフィス、レジデンス、スクールを3つの柱とし“より豊かな人生はシェアから始まる”という哲学をもとに、2012年に東京・巣鴨で誕生。きっかけは東日本大震災だった。

竹沢は当時アメリカで新聞記者をしていた。

「これからの日本には、新たな共同体みたいなものが必要になると思ったので、すぐに帰国しました。

僕は向こう見ずで勇み足な人間なので、思い立ったら行動しているタイプ。事業を起こす際に不安などは特にありませんでした。ただ手伝ってくれる仲間は苦労があったかもしれません(笑)」。

リョウザンパークという名前は、中国の長編小説『水滸伝』に登場する盗賊団、梁山泊に由来する。物語の中でリーダーの宋江はドジで不器用な人間として描かれているが、自身はどんなリーダーなのだろうか。

「大雑把なところがあるので、みんなを不安にさせてしまうことが多いですが、周囲が自然と助けてくれます。ですからリーダーだからといって特別なことはしません。

シェアビジネスという特性から、いつも『何がやりたい?』とみんなに質問をするんです。そうすると具体的な案件が出てきて、そこに僕も共感して動き出すっていうことが多い。

だから周囲の夢が僕に入ってきて、その夢を僕も一緒に楽しむというキャラクターなのかなと思います」。

オフィスや住居、育児など、あらゆることをシェアできる環境づくりを推進しているが、その理由は単純に楽しいから。

「アフリカのことわざに“早く行きたければひとりで進め、遠くまで行きたければみんなで進め”とあるじゃないですか。何をするにもみんなでやったほうが楽しい。

だって、ひとりでBBQをしても美味しくないでしょ? 美味しい肉の塊をゲットしたら、みんなでワイワイしながら食べるほうが肉の味が10倍も20倍も美味しくなるような気がしますし。

逆につらいことはシェアをすれば、シェアしたぶんだけ心が軽くなると思います。美味しいこともつらいことも有形無形、いろんなものをみんなでシェアしたほうがいい」。



そして「シェアをすることは自分のためでもある」と続ける。

「東京・大塚のシェアオフィスを立ち上げるとき、自分の子供も生まれるタイミングで、理想の子育て環境をつくりたいと思ったのが最初です。だからこの建物も、自分が楽しいと思う建物を作っています。

ご飯屋さんを紹介するのに、自分が美味しいと思わなかったらすすめられないのと同じで、自分が楽しいと感じることが大前提。

ここはオフィスや住居をシェアできるので、来春からここでたくさんパーティをしようと思っています。目の前の公園では、防災訓練という名のもとに、地域の人たちとも焚き火やBBQをやったり。楽しそうじゃないですか(笑)。

外から見たら僕がみんなのためにやっているように見えるかもしれませんが、これは僕のわがままですから。自分が心から『楽しい!』と思うことしかやりたくない」。

誰にもシェアをせず、独り占めしたいことについて訊くと「ないです」ときっぱり。

「いろいろなシェアの輪が広がって、最終的には日本を元気にしたいという想いがあります。そのためにはまず、自分の半径5m以内にいる仲間たちを元気にすることが重要だと思っています。

日本人一人ひとりが、僕と同じような気持ちで周囲の身近な人から元気にしていけば、少しずつですけど社会がより良くなっていくと信じています」。

「竣工したらぜひ来てくださいね。ちょうど目の前の公園の桜が見頃だと思うので、みんなでお花見をしましょう!」と言い、がははと豪快に笑う。そんな人懐っこい振る舞いを見るにつけ、こうして仲間が増えていくのだなと改めて感じる。

『水滸伝』は、108人の英雄たちが朝廷を倒し、新しい王朝を建国し幕を閉じる。希望と勇気を描いた物語だ。

竹沢はシェアという戦術を駆使し、これからくたびれた日本を少しずつ元気にしていくのだ。仲間という大事な武器を携えて。
竹沢徳剛の10問10答

Q1. 健康のために我慢していることは?
筋肉痛。

Q2. コンビニで思わず買ってしまうものは?
おでんの卵とこんにゃく。

Q3. 朝のルーティーンは?
子供たちのお弁当を作ること。

Q4. 最後の晩餐で食べたいものは?
オイスターとシャンパン。

Q5. 1日が3時間減ったら何をやめますか?
事務作業。

Q6. 今食べたいものは?
肉の塊。

Q7. 東京・巣鴨と大塚にあって西麻布にないものは?
(あると思うけど印象として)家族経営。

Q8. 上限なしで、今お金で買える欲しいものは?
漁船。

Q9. 子供の頃の夢は?
大工さん。

Q10. コレクションしているものは?
筋トレ器具。
竹沢徳剛●1981年生まれ。東京都豊島区出身。大学卒業後、アメリカワシントンD.C.の大学院へ進学。卒業後、某商社に採用されるもサラリーマン生活に耐えられそうもなく数日で退社。再び渡米しアメリカで新聞記者として働いているときに東日本大震災が発生。これを機に新な共同体の必要性を感じ、2012年にリョウザンパークを設立。
この記事は、オーシャンズ2月号のほんの一部。すべての特集は本誌でチェック!


山本雄生=写真 オオサワ系=文

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