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2024.01.07

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お伊勢参りは外宮、内宮だけじゃない!隠れスポット“斎宮”が眠る「明和町」とは



お伊勢さんの入り口、三重県明和町。飛鳥時代から南北朝時代までの約660年間、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大御神に仕えた皇族の皇女「斎王」が暮らした都「斎宮」が史跡として眠る町だ。

伊勢神宮のある伊勢市と、松阪牛で有名な松阪市との間にあり、人口は約2万2千人。町内の東西には伊勢街道が通り、中央には国内でも最大級、137ヘクタールの国指定史跡斎宮跡がある。かつては、伊勢神宮で使用する織物や土器などが作られ、古くから神宮に寄り添っていた地域だ。

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斎宮は、斎王制度の衰退により遺跡となったが、1973年に発掘がスタート。



発掘が進むと、地元有志で斎王まつりが開催されるようになった。斎王が京都から鈴鹿峠を越えて群行する様子を再現し、今では明和町で一番のイベントとなっている。今も発掘途中の斎宮跡だが、整備も進み、当時の建築を復元した「さいくう平安の杜」などが建てられ、2015年には、日本遺産に登録された。
 
そして、斎宮・明和町をさらに活性化するために発足したのが、観光庁指定の観光地域づくり法人、「一般社団法人明和観光商社」だ。町外からの若手を含むメンバーで構成されたが、設立後一年で新型コロナウイルス感染症が流行。観光客誘致だけでなく、地元住民とのコミュニケーションも取りにくい状況が続いた。

そんなときでも、コロナ禍に適したイベントや、地域資源を活用した観光商品の開発、伊勢街道の古民家改修など活動を続けた。



コロナ禍で取り組んできたことに、観光による神社の活性化プロジェクトがある。明和町が抱える課題に、地域コミュニティである自治会運営の低迷があった。あわせて、自治会によって成り立つ神社の運営も難しくなってきている。

斎宮の伊勢街道沿いにある竹神社もそんな神社のひとつだった。ただ、国史跡斎宮跡にあり、駅からのアクセスの良さ、斎王ゆかりの地に造営されている点など、大きな観光資源となりうるポテンシャルを持った神社だったのだ。
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2020年から、竹神社の社務所を試験的に開放し、御朱印の頒布などを行い始めた。

サポートとして関わったのは明和観光商社。SNSを用いた情報発信や、集客企画を行い、竹神社の氏子総代だけでは難しい部分を担った。

その結果、氏子が毎週入れ替える地域の花を使った花手水や、参拝のきっかけになればと企画した、満月の日のお参り「満月参り」、多彩な御朱印が多くの人を惹きつけ、今では、毎週末多くの人がお参りに訪れる神社となった。
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コロナ禍においても、竹神社の取り組みや、斎宮の復元建物「さいくう平安の杜」を活用したプロジェクションマッピング、そのほかたくさんの取り組みを実施し、高い評価を得た。

2022年6月に開催した第40回記念の斎王まつりは、過去最高の2万5000人が訪れ大盛況となった。また、明和町の港町、大淀で同年7月に行われた大淀祇園祭も、4年ぶりの開催で270周年を迎える記念すべき年となり、3つの山車が集う「三車揃い踏み」など大変賑わった。



賑わいの背景には、明和観光商社のさまざまな取り組みのほか、明和町の若手世代の意欲的な活動、竹神社のような伝統を持つ神社がお互いの強みを活かし合う連携があった。

その連携を高める場として、明和観光商社は「めいわ観光まちづくり研究会」を立ち上げた。町内事業者及び地域住民が主体となって、観光まちづくりを進めていくための「学び」と「実践」の場だ。メンバーは、学生から自治会長、子育て世代など、多様な面々。

メンバーはまず、観光によって地域の持続性を高める「持続可能な観光地域づくり」を学び、各自でプロジェクトを立ち上げ、明和町の魅力を向上する活動を行っている。
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