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ファッションの原風景は「NOWHERE」


バラエティ番組など、メディアを通じて見る久保田さんのファッションは、すべて私服。そうなったのは、過去に苦い経験をしたから。

「20年近く前かな、某テレビ番組で先輩の衣装と丸かぶりしたことがあったんですよ。あれは、もう最悪でした。ポロシャツみたいな服で、いまでも鮮明に覚えています。それからは、衣装さんはつけないと決めました」。



ファッションにこだわるようになったきっかけは、幼い頃の経験があるという。

「”十二色相環(じゅうにしきそうかん)”という、12色をリング状に配置した図があるんですが、小さい頃にそれが家の玄関に貼ってあったんです。

当時、親から『今日着たい服の色は、自分で選びなさい』って言われていたので、前日と同じ色の服を着ることはありませんでした。そういった環境から影響を受けて、ファッションに興味をもった可能性はあると思います。自覚はないんですけどね」。



最もファッション熱が高かったという10代の頃は、裏原カルチャーの黎明期。生来のストリート好きは、この当時に発露したのかもしれない。「裏原系という言葉よりも、ノーウェア*(NOWHERE)系のほうがしっくりくるかも」と続ける。
(*’93年にオープンした、NIGO氏と高橋 盾氏によるショップ。「ア ベイシング エイプ」や「アンダーカバー」などを扱っていた)



「あの頃は、ムラジュン(村上 淳)さん、『ヴァンダライズ』のデザイナー・一之瀬(弘法)さん、『バウンティーハンター』のデザイナー・ヒカルさんとかに憧れていましたね。

『エイプ』や『アンダーカバー』『グッドイナフ』『フォーティーパーセント』『セディショナリーズ』……。当時人気だったブランドは、ほぼ着ていました。東京にしかないような、人気アイテムも買わせてもらってました。

僕は宮崎県の出身なんですが、当時の裏原宿にいた有名な人たちが、ちょくちょく遊びに来ていたらしいんです。地元のショップに優先的に服を卸していたのか、全国の裏原ファンから『なんで宮崎のショップだけ、あんなに新作入るんだ!?』と言われていたくらい」。


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