みながわけんたろう●1977年生まれ。4度のオリンピック出場を果たした元アルペンスキーヤー。現在は一般財団法人冬季産業再生機構の代表理事/会長としてスキーに留まらずウィンタースポーツ産業全体の発展に尽力している。
「The BEST Wellbeings」をイヤーテーマに掲げ、OCEANSが初めて開催したアワード「
OCEANS Feel So Good AWARD」。アドバイザリーボードとともに、オンもオフも両方輝いているWellbeingな8名を選出。それぞれが輝いている秘密を探っていく。
アルペンスキーヤーとして、オリンピックに4度出場を果たした皆川賢太郎さん。現在はスキー場の再生や雪資源を守るための活動など、自分を育ててくれたウィンタースポーツ産業を盛り上げようとさまざまなアクションを起こしている。これらの活動に共感し、今回オーシャンズアワードを贈呈した。
早朝のゲレンデに立つことで本質に還ることができる
3歳からスキーを始め、17歳でプロになり、37歳で引退。それから10年、皆川さんは今も雪山に立ち続けている。
「僕の主な仕事はスキーリゾートの再生なので、実際は雪山よりも、冬に向けて東京で仕込む時間の方が長いんです。世界でも有数の大都市で日々忙しく過ごしていると、たまに自分は何の仕事をしているんだっけ?と思うこともあるのですが、冬になって雪山に戻ると『あぁ、やっぱり自分の居場所はここだな』と自分の原点を思い出すことができます」。
その雪山で選手時代から続けているのが、早朝、誰もいないゲレンデに立つことだ。
「雪って音を吸収してくれるので、朝の雪山は本当に静か。ゲレンデのコンディションをチェックするという意味もあるのですが、静寂の中に立って、深呼吸をすると『よし、やるぞ』と活力が湧いてくる。あの時間は、僕にとっては欠かせないものです。
たまに友達と一緒に滑っていると『よく飽きないね』って言われることがあって。でも実際は飽きているんです(笑)。だって選手時代は年間200日滑っていましたからね。
ただ、本人は飽きているんだけど、他人からはすごく楽しそうに見えるらしい。そう言われると、僕がどう思っていても、雪山が自分の本質的なものなんでしょうね」。
80年代のバブル期、日本にはスキー場が乱立。だが、98年の長野オリンピックをピークに、日本のウィンターマーケットは衰退の一途を辿っていく。
一方、近年は豊かな雪資源を求めて、外国人観光客が増加。皆川さんは「スキー文化の第二章が始まりかけている」という。
「バブル時代はどこも同じような構図の、まるでテーマパークのようなスキー場ばかり作られました。ただ、今後はどんどんシュリンクされて、アメリカやヨーロッパのような、より磨かれたスキー場だけが残ると僕は考えています。
そのための問題は山積で、昔は古くなったゴンドラを見て『これ誰が掛け替えるんだろう?』って思っていたけど、今は『あ、俺がやるんだ』って気付いて(笑)。なかなか大変な作業ですが、日本の雪山文化が変わりゆく時代に僕が立ち会えていることは、すごくありがたいことでもあります。
アスリートが結果を残すためには、コツコツ鍛錬を積み重ねていかないといけないのですが、ビジネスも同じだと思っていて。練習と同じように、僕は一夜にしてならないものが好きなんです。
それに簡単なことは多くの人がやるけれど、難しいことに取り組む人は少ない。僕はその難しいことに取り組む少数派でありたいなと常々感じています。まぁ昭和の体育会系というか、今の時代には合っていないなと思うんですけどね(笑)」。
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