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2023.09.03

ライフ

元SEの1つ星すし職人・岩澤資之が大切にする言葉「諦めたらそこで試合終了ですよ」



当記事は「THE WORDWAY」の提供記事です。元記事はこちら(第1回第2回第3回)。 
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今回のアチーバーは、すし職人の岩澤 資之さんです。

岩澤さんは、大学卒業後にIT系企業でシステムエンジニアとして勤務していましたが、学生時代にアルバイトをしていたすし店の楽しさが忘れられず、25歳の時に一念発起。会社を辞め、すし職人の世界に飛び込みました。六本木の「蔵六鮨」、赤坂の「すし匠 齋藤」で15年間修業を積み、2016年3月に独立。

「不動前 すし岩澤」を開業すると、3年目の2019年にミシュラン1つ星を獲得するなど、多くの食通をうならせる人気店へと成長させました。夢をあきらめない強い覚悟、人を育てるポイントとは―。

言葉①夢をつかむ一番は明確な意思。漫然とやっていては時間もかかるし、パワーもなくなる



Q:東京で注目を集めるすし屋というと銀座や赤坂などのイメージが強いのですが、独立する際、なぜ住宅街の不動前を選ばれたのですか?

競合が少ないというのが一番の理由です。(不動前に近い)目黒に長く住んでいて、周りにお寿司屋さんがあんまりないなとずっと思っていたんです。銀座とか、私が修業した六本木、赤坂は寿司屋だらけなので、競合がいないところの方が面白いかなと。

場所的に同伴や接待といった「ついで」が望める場所じゃないので、師匠からは止められましたが、今はネットとかで情報が流れる時代ですので、もっと辺鄙なところでも繁盛しているお店もありますし、何とかなるかなという感じでした。



Q:岩澤さんは25歳の時に、務めていたIT企業を辞め、寿司職人の道に進まれました。どのような経緯があったのですか?

寿司との出会いは、大学の時に神田のカプセルホテルで受け付けのバイトをやっていた時なんです。そこに近所の寿司屋の大将が、家が遠いので平日の月から木まで毎日泊まっていて、その大将が必ず「お兄ちゃん、いつもありがとうね」みたいな感じで缶コーヒーをくれたんです。

いい人だなと思っていたら、ある日「ちょっとうちでバイトしてくれない?」って声をかけられて、お店にお邪魔してお寿司を食べさせてもらったら「お給料の他にこれがまかないで出るよ」って。その寿司が美味しくてすぐに「やります」って答えました。

Q:その出会いが仕事を変える決断にも影響を与えたと?

大学を出て、一度はサラリーマンになったんですが、あまり楽しくないなと思っていた時に、その大将のことを思い出したんです。大将は人を笑わせて、スナックみたいな感じで、お客さんは大将と会話をしに来るみたいなお店だったので、寿司屋は楽しいと自分で勝手に擦り込んでいた部分もあったんだと思います。

大将からは、「寿司屋はロクでもないやつが多いから大変だぞ」って止められましたが、サラリーマンは一生楽しくはできなそうだし、寿司屋になろうと決めました。



Q:鮨職人は「修行10年」などと言われるように、厳しい下積みのイメージがあります。

実際働いてみたら労働時間は長いですし、先輩は厳しいし、相当な覚悟がないと続かないですよね。私が入った店は、カウンターが2つある最大で20人ぐらい入る大きなお店で、いわゆる昭和の寿司屋スタイルだったので、自分の考えも甘かったですし、毎日のように怒られていたイメージがありますね。

Q:壁を乗り越えるために、岩澤さんが前をむき続けられたのはなぜですか?

寿司屋の仕事というのは、そんなに超絶難しいものではないです。基本に忠実に、回数をこなせば必ず、誰でもできるようになると思っているので、そこは質より量ですよね。

自分は、本当に下手くそだったので、数をこなすしかなかったし、コツコツやるのは昔から億劫に感じない方だったので、とにかくたくさん練習するしかないなと。

うまくなるために、毎日日記を書いて、休みの日に見返してやってみたり、そういうのは、どこの世界でも同じじゃないかと思いますけどね。



Q:修行開始から7年後に、六本木のお店を辞めて赤坂の「すし匠 斎藤」にお店を変わられています。

本当に全然仕事ができなくて、7年目に親方からクビを言い渡されたんです。つらかったですが、幸い拾ってくれる方もいたので。

ただ、次の店で「ダメだ」と言われたら、もう寿司屋はできないんだろうなと思ったので、頑張って見返してやるという気持ちで、次の店に行きました。

Q:順風満帆とはほど遠い修業時代だったのですね。

そうですね。ただ、結果的に2つのお店を経験できたことはすごく大きかったですね。2つ目の店の親方が業界では異例の、「人を怒らない親方」だったんです。

自信を持たせるような教え方をしてくれたので、楽しく仕事をさせてもらいましたし、すし匠の考え方に「仲間を大切にする」というのがあって、みんなで協力することが、お客様を楽しませるために必要なことだというのもそこで学びました。



Q:結果的には15年の修行を経て、40歳で独立を果たしたわけです。同じように夢に向かって戦っている人にアドバイスをお願いしたいのですが。

時間は限られているということですよね。漫然とやっていたら何年かかるかわからないですし、年齢も年齢ですし、挑戦するパワーもなくなると思ったんです。最初は「10年で独立」と掲げて、結果的には15年かかってしまいましたが、今これが必要だっていうのは意識してやるようにしていたと思います。

Q:やり遂げるには、はっきりとした目標と覚悟が必要だということですね。

一番大事なのは、思いだと思うんです。何があっても独立するという気持ちがやっぱり一番大事で、技術とかは独立してからでもいくらでも練習できる。まずは店を持つんだという明確な意思が大事なんじゃないかなと思いますね。


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