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2023.09.01

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原田龍二「絶対に死ぬと思った」。インド洋で難破、生を諦めた瞬間に変わった死生観


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4回に渡りお届けしてきた、原田龍二さんの心霊スポット体験シリーズ。ヒヤっと暑気払いはできただろうか。

そもそも、なぜ原田さんは霊の世界にのめり込むようになったのか。背景には、2つのキーポイントがあるという。その真相に迫る、今回のインタビューでシリーズを締めくくるとしよう。

▶︎第1弾 旧“処刑場”での恐怖体験
▶︎第2弾 真冬の廃温泉施設で、あわや全裸に
▶︎第3弾 怪奇現象が連発する噂の現場
▶︎第4弾 1枚の写真が引き起こした凄惨な交通事故
話を聞いたのは……
原田龍二さん原田龍二●俳優。1970年10月26日生まれ、東京都出身。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト準グランプリ。『相棒』『水戸黄門』などテレビドラマや映画に出演多数。2021年4月からYouTubeチャンネル「ニンゲンTV」で心霊スポット巡りを開始。現在チャンネル登録者数は21万人。

原田龍二●俳優。1970年10月26日生まれ、東京都出身。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト準グランプリ。『相棒』『水戸黄門』などテレビドラマや映画に出演多数。2021年4月からYouTubeチャンネル「ニンゲンTV」で心霊スポット巡りを開始。現在チャンネル登録者数は21万人。


『ウルルン滞在記』でスリランカへ


原田さんが目に見えない世界に興味を持ち始めたのは、幼少期にテレビで見ていた心霊系の番組に端を発する。だが、最も強烈な影響として記憶に刻まれているのは、24歳のときにインド洋の大波に飲まれながら「死」を覚悟した経験だという。

「絶対に死ぬと思っていたのに助かった。そこから僕の死生観が始まったんだと思います」(原田龍二さん、以下同)。

当時、テレビ番組の取材でスリランカを訪れていた原田さん。オーシャンズ世代であれば覚えているだろう、著名人が世界の秘境や民族を訪ねる旅番組『ウルルン滞在記』を。1995年から2008年の13年半、MBS/TBS系で放送されていた超人気番組で、原田さんは放送1年目から登場していた。



「1995年にカツオの一本釣りにチャレンジするため、スリランカ南部のタンガラ村に行ったんです。乗る船にエンジンはなく、木をくり抜いたカヌーのような簡素なものでした。縦に3人乗ればいっぱいで、沖に出るまで2時間もかかるんです。

ロケの日程は5日間。海に出ても暴風雨にあって引き返したり、悪天候で漁に出れない日が続いたのですが、最後の日にようやく天気に恵まれました。カツオ鳥も飛んでいて、『これは番組的にも最高のシナリオだ!』と思いながら海に出たんですが、途中でむちゃくちゃなシケになるんです……」。

死を覚悟して生を諦めた瞬間




海は大荒れで、波は身長の倍以上もある高さまでうねった。狂ったような暴風と、激しい雨が体を激しく打つ。視界も失い、原田さんたちを乗せた船はまるでジェットコースターのように、上下に激しく打ち付けられたという。

「船の一部は、こっぱ微塵になりました。もう泳いで帰れる距離じゃないし、浮き輪もなければライフベストも着ていない。助けが来るまで、船にしがみついてる自信もありませんでした。

ついに、僕らのボートを牽引していた船のロープも切れたんです。スタッフの『原田く〜ん』という声もどんどん遠のいていって、助かる見込みはありませんでした。あぁ、もう無理だ。僕は、スリランカで24歳で死ぬんだ……って覚悟しましたね」。

どう考えても助かるわけがないと死を受け入れ、生を諦めた瞬間、不思議と落ち着き払った自分がいたと振り返る原田さん。その後の記憶はなく、次に目を開けたのは、凪の海に浮かぶボートの上だったという。



「気づいたら港に戻っていました。助かったんですね。現地の人も初めて経験したような大シケで、誰もが助からないと思ってたみたいです。

絶対に死ぬ状況だったのに助かった。それからです、僕のなかで死生観のようなものが生まれたのは。死を受け入れたときの落ち着き払ったあの感じは、いまも忘れていません。自分はいつでも死を受け入れることができるんだと思います」。


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