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なぜ孤独や寂しさを募らせるのか

大﨑さんの考え方は、裏を返せば「居場所を何らかの場所に求めてしまい、思うように得られない」「お守りのような存在が心の中にいない」という人が多く、だから悩んでしまうということでしょう。

(撮影:梅谷秀司)

(撮影:梅谷秀司)


さらにコロナ禍などの厄介な出来事が重なると、気が滅入ってしまうのも当然。母親という居場所があるはずの大﨑さん自身ですら、コロナ禍以降、著名人の自死が続いたことを尋ねた際、「自分もいつそういうふうになるかもわからない」と語っていました。

「僕なんかもうすぐ70歳だから、夜中に目覚めたりしたら、老人性うつじゃないけど、暗くなったりもするし、紙一重みたいなところもあります。その紙一重のところにいかないように、小さな楽しみというか、喜びというか、気持ちがホッとするというか、1ミリぐらいの目標でもいいので、そういうのがあればやり過ごせると思うんですよね」(大﨑さん)

ちなみに大﨑さんの母親は、祖父母が寝たきりになって家から一歩も出られず介護していたとき、「家の前の小さな池にいる金魚をじっと見ているときが唯一ホッとするときなんや」と言っていたそうです。これは「ハードな日々の中でも小さな楽しみを見い出せるような母親だったから大﨑さんの居場所になり、今なお安心感を与えている」ということなのかもしれません。

また、「ふとした瞬間に孤独を感じてしまう」という人に向けては、具体的なノウハウを教えてくれました。

「人間って、雑踏の中でひとりぼっちを感じるときもあれば、賑やかなパーティーしているんだけどポツンと1人だっていうときもあるし、ほんの一瞬でも孤独や寂しさを感じるときが毎日のようにあって、それが重なって大きなものになっていくのだと思います。そういう『小さな孤独や寂しさを1つひとつその都度消していく』、あるいは『それを客観的に見て楽しんでしまう』。無意識を意識に変える訓練をしていくのがいいんじゃないかなと思うんです」(大﨑さん)

会社人生の半分はずっと窓際だった

「居場所を場所に求めないほうがいい」とは言っても、ビジネスパーソンなら役職や肩書のようなステータスを居場所として求めてしまうし、うまくいかなくて落ち込んでしまうことが多いもの。その点、大﨑さんはトップでありながらも、「吉本にはたまたま入社しただけ。いろんな出来事があって会長になりましたが、会社人生の半分はずっと窓際でした」と自虐的に話してくれました。

「若い子には、あなたの人生、あと50年、60年、70年ある中で幸せな出会いというのが誰にもあるので、目先のことや勝った負けたで悩まなくていいし、下向いて道の端っこ歩かないでほしい。その幸せな出会いが人なのか、仕事なのか、本や映画なのかはわからないですが。もちろん努力もしなきゃいけないんだけど、疲れたときや困ったときは長い目で見たら無理せず休んだほうがいいし、『自分は自分らしくいればいいんじゃないか』ということを伝えたいです」(大﨑さん)

大﨑さんに言わせれば、人生は長いから目先の役職や肩書で悩まないでいいし、そうしていたら結果的に会長になれたということなのでしょう。また、「疲れたときや困ったときは無理しない」「逃げるのではなく一時避難して戻ればいい」という考え方は大﨑さん自身が実践してきたものでした。

(撮影:梅谷秀司)

(撮影:梅谷秀司)


「僕が一時避難したのは銭湯とかサウナですよ。力道山とかが入ってた日本で初めてできたサウナなんですけど、朝一で新幹線の新大阪駅から終点の東京駅に着いて、『さあ9時半から仕事や』と思っても、降りたとたん心身ともにヘロヘロで、『あかん』と思って駅構内のサウナへ行きました。部下に電話だけ入れたあと、そのまま夕方までじっと寝て。

まあ、『逃げてた』と言ったら逃げてたわけですよね。仕事からも逃げ、世間からも逃げ、誰からも見つからないようにサウナで隠れてたんですね」(大﨑さん)


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