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2023.07.27

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30歳目前でインド移住。73万フォロワーの人気Youtuberが語るセカンドキャリアの成功術


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セカンドキャリアのリアル●転職が一般化しつつある昨今。40〜50代で心機一転、異業種へ転職なんて人もザラだ。新天地で活躍する同輩は、どのように華麗なる変身を遂げたのか? セカンドキャリアのリアルを拝見。
「インドには呼ばれた人しか行けない」とは三島由紀夫に端を発した言葉だが、かくして呼ばれて行ったとしてもインド飯には“アタる”のが定説である。

そんなインドの屋台メシを映したYouTubeチャンネル「今日ヤバイ奴に会った」の運営者が坪和寛久さんだ。チャンネル登録者数は7月末時点で約73万人、ヒット動画は701万回再生されるほどの人気ぶりである。

20代の最後に突如インドへ移住し、開花した坪和さんのセカンドキャリアについて深掘りしてみた!
話を聞いたのはこの人!
坪和寛久●1984年、茨城県北茨城市生まれ。2013年にインド、ムンバイの不動産業へ従事するため渡印。ブログの延長で初めた動画、「今日ヤバイ奴に会った」がヒットし、人気YouTuberに。2023年夏には仲間と共に“舌で感じるコンテンツ”と題して、「ミルデリ」を立ち上げ、動画からフードデリバリーが注文できるサービスを展開。

坪和寛久●1984年、茨城県北茨城市生まれ。29歳のとき、インド・ムンバイの不動産業に従事するため渡印。ブログの延長で始めたYouTube「今日ヤバイ奴に会った」が大ヒットし、現在のチャンネル登録者数は72.8万人(2023年7月末時点)。夏にはスタートアップ企業、「ミルデリ」を立ち上げ、新たな挑戦へ邁進中。

小3まで靴を履かない派だった、落ち着きなき少年時代

北茨城市で育った坪和さんは「子供の頃から落ち着きがなかった」と振り返る。

「勝手にどっか行っちゃうし、靴を履いても裸足で帰ってきちゃう子で、小3までシューズも履いていなかった。今で言うところのADHD(注意欠如・多動症)でしたね。実際に診断を受けたのはインドでしたけど」。

衝動的で計画性がなかったという坪和さん。大学も21歳で再入学しているが、そんな彼の個性はその後の人生を彩ることになる。



坪和さんのキャリアは、ここでは日本での会社員時代をファースト、インドへ渡ってからをセカンドとしたい。キャリア年表をまとめてみるとこんな具合だ。
2009年4月(24歳) 2回目の大学を卒業。東京で保育所の運営・営業の職に就く。
2012年4月(27歳) 電子書籍系の会社の営業に従事。
2013年10月(29歳) 不動産業に就くため、インド・ムンバイへ移住。ブログを始める。
2014年12月(30歳) ブログに載せる目的でYouTubeを開始。
2015年5月(30歳) ムンバイで別の不動産会社に転職。
2017年5月(32歳) YouTubeの収益が突然口座に。動画に力を入れ始める。
2020年3月(35歳) コロナ禍で帰国。日本でスパイスを販売する事業をスタート。12月に著書出版。
2022年3月(37歳) インドに戻り、撮影再開。
2023年5月(38歳) 日本でスタートアップ企業を起業。
京都で大学を卒業した坪和さんは就職を機に東京へ上京。保育所を運営する会社で営業や管理を担当し、その後は仙台へ転勤した。

「人と話すことは好きだったけど、報連相や時間を守るといったことができなくて、社会人としてはダメでした。ストレスでいつも頭痛がありましたね」。



震災を仙台で経験し、大きな失恋も重なり、その後は東京で2度転職。仕事は嫌いではなかったが、30手前という歳もあって坪和さんは人生に悶々としていた。そんなときに舞い込んできたのが「インド行き」の切符だった。

「前職の先輩の知人のおじさんに『インドに行かない?』と誘われて。どこかで海外に目が向いていたんでしょうね、衝動的に決めました」。

坪和さんの海外歴は修学旅行でグアムに行ったくらい。英語の知識も義務教育で習った程度で、決して流暢に話せる状態ではなかった。


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