「弊社の看板娘」とは…… いろんな取材をしてきたが、社長が社員に対して幕末に関する講座を開く会社は初めて見た。
新宿3丁目駅からほど近いオフィスビルに向かう。
こちらでございます。
【写真20点】「マッチングをサポートする看板娘」を写真でチェック 中に入るとーー。
看板娘、発見。
さっそく、ご登場いただきますよ。
「よろしくお願いします」。
こちらは、営業代行、テレアポ代行、WEBメディア運営などを行うジャパンプで働く窪野真美さん。世田谷区の祖師ヶ谷大蔵で生まれ育った。
「円谷プロダクションが誕生した街なので、小さい頃はおもちゃ屋さんとかにウルトラマンが来てくれたんです。母親に言われて写真を撮ってもらいましたが、実物を前にするとかなり怖かったです」。
そのお母さんはイベントやお祭りが大好き。大洗さんビーチで行われる地曳網体験にも連れて行ってくれた。
いろんな魚や貝が揚がったが、子供なので種類はわからない。
また、ぬいぐるみが大好きでベッドの端に20体ほどをずらりと並べていた。中でもお気に入りはうさぎの「うさこちゃん」。祖母が作った洋服を着せていたそうだ。
寝るときもずっと一緒。
中学に上がると吹奏楽部に入部。高校でも続けて、アルトサックスを担当していた。
「部員はそれぞれ係に就くんですが、私は企画・演出係でした。ステージの演出をしたり、演奏する曲を選んだりできるんです。自分がやりたい曲をピックアップして、その中からみんなで決めていました」。
高3の定期演奏会のリハーサル室にて(いちばん右が真美さん)。
音楽が好きになったきっかけはお父さん。
「父親が大の音楽好きで、とくにジャズやR&Bのレコードが家にたくさんありました。その影響で私もキース・ジャレット、チック・コリア、アースウィンド&ファイヤーなどが好きになったんです」。
お父さんが膨大なコレクションから真美さんが好きそうなものを厳選してくれたというレコードの写真も見せてくれた。
マイルス・デイヴィスも鉄板ですよね。
高校卒業後は女子大に進学。海鮮丼屋でアルバイトを始める。
「従業員さんがやさしくて、自由に働かせてもらいました。ディスプレイも好きなように書いたり、18時以降はBGMをジャズにしたり。照明もちょっとだけ暗くしてムーディな雰囲気にしていましたね」。
大学を卒業すると営業支援会社に就職。そこを退職したのち、登山が好きだった真美さんは1シーズンの3カ月間、北アルプスの山小屋でアルバイトをした。山頂に近い場所なので標高は約2800メートルだ。
山小屋を出ると彼方に槍・穂高連峰がそびえるというロケーション。
山小屋では炊飯担当だったが、もちろん炊飯器は使えない。試行錯誤の末に真美さんは米炊きマイスターになった。
「釜で40人分ぐらいのお米を炊くんですが、そこで炊飯器を使わない美味しい炊き方をマスターしました。水の量は計らず、人差し指の第一関節が目安。鍋の隙間から出る湯気が美味しそうな匂いから香ばしい匂いに変わる瞬間が火の止めどきです。この特技には絶対的な自信を持っています」。
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