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2023.02.17

ライフ

スカートにランドセル、ハイテクBIKKE、スケシン、ジョニオ…90年代の裏原ファッションは熱かった!

左から、BIKKEさん(1968年生まれ・埼玉県出身)、川辺ヒロシさん(1967年生まれ・鹿児島県出身)、渡辺俊美さん(1966年生まれ・福島県出身)

左から、BIKKEさん(1968年生まれ・埼玉県出身)、川辺ヒロシさん(1967年生まれ・鹿児島県出身)、渡辺俊美さん(1966年生まれ・福島県出身)

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特集「Jr.たちに残す黄昏 ’90sストーリーズ」とは……

トーキョーナンバーワンソウルセット(TOKYO No.1 SOUL SET)に、’90年代当時の貴重な思い出をサイコロトークしてもらう本企画。

ベンツの窓を割ったり、ナイフが飛んできたりと「事件」トークをしてもらった前回に続き、今回のトークテーマは「買い物」と「ファッション」。リンクしている2つの話題を最後に語り合ってもらった。

裏原が盛り上がり始めた’90年代前半期に渋谷、原宿を生きたTOKYO No.1 SOUL SET、彼らが当時、最前線で体験したこととは?

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「ニューバランスのレザースニーカーは衝撃だった」

川辺ヒロシ さて、サイコロをふりましょっか。おっ、「買い物」ですね。

渡辺俊美 BIKKEがエア マックスを買ったときは衝撃だったなぁ。いきなりハイテクBIKKEになったの。それまでレザーシューズをよく履いていたし、けっこうヴィンテージなファッションをしていたのに。


 
BIKKE 古着を好んで着たり、ヴィンテージのレザーシューズやスニーカーを履いたりしていた時期があったんだけど、やっぱり履きづらいんだよね(笑)。最新のスニーカーの方が機能的にも優れていて履きやすいって気づいちゃったんだよ。それで買ったの。「エア マックス 95」のイエローグラデだったかな。

川辺ヒロシ 狩られなかった?

BIKKE エア マックス狩りはもう少し後からだったから。僕が買ったときはそんなに人気なかったんだよ。

渡辺俊美 ハイテクスニーカーって言葉も、その当時出てきたんだもんね。それまでは、みんなプーマのスエードとか履いていたよね。

BIKKE 全体的にローテク寄りだったよね。当時さ、ニューバランスのレザースニーカー(M576)が出た頃だったけど、あれも衝撃的だったよね? レザー素材なの?って。

渡辺俊美 そうそう。DJドラゴンとかスチャダラパーのSHINCOとかが履いてたやつ。気づけばア・トライブ・コールド・クエストもみんな履いていた。僕もブルックリンで買ったのを覚えていますね。



川辺ヒロシ 俊美くんはハーレムに貝殻を仕入れに行ったりしてたね。

渡辺俊美 1991、1992年頃だったかな。「貝殻ください」って言って、ジャングル・ブラザーズのジャケットアートワークを見せたら、裏に連れていかれて何をされるのかと思ってすごく怖かったけど。優しい人だった。あの頃のNYはまだラジカセを持ってうろついてた人がいたな〜。それも時代だね。

ーー洋服はどういったものを買っていましたか?

川辺ヒロシ 当時、裏原系ブランドが流行り始めた頃だったんですけど、周りにいた友達がどんどんブランドを始めて、サンプルをよくいただいていたんで、洋服を買わずに生活していましたね。

渡辺俊美 BIKKEも洋服作ってたし、周りもアパレル関係が多かったね。


当時のロンドンナイトが今に繋がる原点 


 
ーーでは、またサイコロをお願いします!

BIKKE いきましょう! お次は……「ファッション」だって。

渡辺俊美 我々は、そもそもの出会いがファッションですからね。BIKKEもヒロシくんも竹下通りで働いていたし。古着屋だったよね?

BIKKE そうだね。そこでヴィンテージの知識を得てからは、他のお店を巡って激レアアイテムを探したりしてたね。

渡辺俊美 場所が原宿だったからね。

BIKKE その頃、原宿ではすでに名物だったよね、俊美くん。

渡辺俊美 名物おじさん(笑)。



BIKKE 俊美くんと知り合う前、「すごい人がラフォーレで働いてる」っていう噂だけ聞いてたんだよね。で、ある日、竹下通りの向こうからランドセルを背負って、スカートを履いて、自転車のヘッドギアみたいなのをかぶった人が歩いてきて。俊美くんのこと見たことなかったけど、このヤバい人がきっとそうだって思って(笑)。

一同 (笑)

BIKKE 当時から原宿には変わった服装の人は多かったけど、けっこう何かの音楽寄りな格好ではあったんですよ。

渡辺俊美 パンクとかね。

BIKKE うん。だけど、これは見たことがないジャンルだと思ったんだよね。後々知り合ってから、やっぱり俊美くんだったってわかるんだけど、あれは衝撃的だったなー(笑)。



川辺ヒロシ 裏原ムーブメント以前って、変な格好をしている人が多かったよね。あの頃は、原宿駅周辺から歩行者天国になっていて、バンドだの何だのとパフォーマンスをしている人が山ほどいた。あの辺りは人も多くて、もっとカオスな感じだったなぁ。同時にバンドブームがきてね。

渡辺俊美 ジュンスカ(ジュン・スカイ・ウォーカーズ)とかね。

川辺ヒロシ うん。ロックンローラーみたいなのもいるし、竹の子族の残りみたいなのもいるし、すごくカオスだった。

BIKKE 今考えるとすごいよね、あのお祭り騒ぎ。

渡辺俊美 毎週仮装パーティだったもんね。

BIKKE 今やったらすごく楽しいと思うけどね。

川辺ヒロシ そのなかで、俊美くんは目立ってた!

渡辺俊美 負けられない!

BIKKE 俊美くんは、東京に勝負しに来てるからね。



渡辺俊美
 僕らの上の世代でDCブームがあったんだけど、高いじゃないですか。だからそれでは勝負できないって思って。どうにか目立つためにはチープでも派手で目立つ格好がいいかなっていうので、ランドセルに鋲打ったりとか、なんかこいつ変だなって周囲に思わせた方が覚えてくれるだろうって感じだったんですよね。

そのキッカケは『ロンドンナイト』のツバキハウスに行ったこと。この中で顔を覚えてもらうためには、もう目立つしかないと思って。スタイルとかはさておき、どれだけ目立てるかを目標にしていましたね。そうしたら『ロンドンナイト』のチームに入れるかな、みたいな。今いるのも、そこが原点ですね。


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